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店内に入ったとたん、驚いた。

天使のオーナメントが、センスよく、所狭しと配置されている。

案内されたReserveの札がかかった席の、シュガーポットの横に立っているガラス細工を見たとき

真っ先に昔アキちゃんからもらった、天使を思い出した。







 悪魔の後光・2







「おにいちゃん・・・?」



こんなところに連れてきてくれたことなんて、今まで一度だってない。

そもそも二人でまっとうな外出なんてしたことがないのだ。

ひどく悔しいけれど動揺してしまう。



でも、よりにもよって、こんな日に、クソ兄貴は、こんなところであたしなんかの相手を

していていいんだろうか。



いつの間に予約なんかしていやがったのか、ランチメニューのコースが運ばれてくる。

目の前にいるのがクソ兄貴というのが気に喰わなかったけれど、

捨てられる、という危険性がとりあえず薄くなってきた今、冷静になってみてみると

ウッドデッキ風のテラスの向こう側に見える緑も、木も、空の青色も

とてもきれいで、お料理も、すごくおいしかった。



一通り食事が済んだとき、せっかくの食事の最中でも言葉少なだったクソ兄貴は

小さく、言った。



「ホワイトデーだからな。」



クソ兄貴らしくもないセリフに驚く。



「なんで」



「なんでって、なんなんだ。日本語くらいまともに話せ。」



あんたにだけは言われたくない。



「だって、ホワイトデーなのに。」



「はぁ?」



クソ兄貴はあたしの目を見て不快そうに言い捨てる。



「おにいちゃん、あんなにいっぱいチョコ貰ってたし、あたしなんかじゃなくて

 きちんと相手しなきゃなんないカノジョ、いるんじゃないの?」



「ああ?」



ひどく低い声で威嚇されてはこれ以上何も聞けない。



ムカツク。

・・・・・・けど。

視線を落とした先にどうしても視界に入ってくる天使のオーナメント。

視線を上げても、窓枠や至るところで視界に入ってくるオーナメント。

おいしかった料理。



悔しいけれど、連れてきてもらえたことに違いはない。

だからあたしは、やっぱりお礼はいわなきゃならないんだ。



本当に、ムカツクくらい、悔しいけど。

こんなとこで感謝したら、数百倍の恩をふっかけられそうだけど。



「・・・・・連れてきてくれて、ありがと。」



スカートの上できつく握った手に更に力を入れて俯いたまま小さく伝える。

ふふん、と頭の上でクソ兄貴が笑うのを感じた。



この時期、仕事がとても忙しいようで、

休日ながらもクソ兄貴は休み返上で働いているらしいことがわかった。

だから、あの日の土曜も、そして、今日も。



昼の数時間だけ抜け出してきたらしいクソ兄貴は仕事を残しているようで、

あたしをマンションに降ろしてまた会社に戻るという。



山に捨てられることなく、無事に辿り着けたことで少し余裕が出てきたあたしは

車から降りるとき、どうしても気になっていたことを、聞いてみた。



「おにいちゃん、どうして、あそこに連れて行ってくれたの?」



たしかにものすごく素敵で、お料理も美味しかったけれど、仕事が忙しいなら何も

あんな遠くまで行くことはなかったはずなのだ。

おしゃれでおいしいお店はこの近くにも結構ある。



ステアリングの上に顔を載せて暫く続いた沈黙のあとクソ兄貴は小さく言った。



「・・・・・・天使」



小さすぎて聞き取れない。普段は低くてもやたら耳に響く声で話すくせに。



「え?」



はぁ、と、あからさまな溜息をついてクソ兄貴はもう一度繰り返した。



「天使、お前机の上に置いてるだろう。よく見てるし、大事にしてるようだし。

   そんなに好きなのかと思ってな。」



そんなところまで見られていたことに我知らず赤くなっていくのを感じる。



「・・・・・・好き、ていうか・・・・・・」



声が、震える。



「あれ、アキちゃんが昔ホワイトデーのお返しでくれて。

  すごくきれいで、もったいなくて食べられないから、大事で、」



妙な気配を感じてクソ兄貴の方を見たら、さっきまでとはうってかわって

般若もびっくりな険しい形相をしていた。

ぞくっと背筋に冷たいものが走る。

気のせいじゃなく、車の温度がどんどん下がっていくようだ。



器用なヤツめ。

こいつは機嫌で周囲の温度を変えられる。



「お、おにいちゃん、仕事なんだよね、早く行かなきゃ。じ、じゃ、がんばって!」



クソ兄貴が何か言ったように思えたけれど、ロックが解除されていた助手席のドアを開けて

あたしは慌てて外に飛び出した。





********



部屋に戻り、

もう一度机の上の、アキちゃんからの天使を見つめる。

外はすっかり日が暮れていた。



月の光を浴びても、天使の中のコンペイトウは、きれいだ。

チリン、と音がする。



クソ兄貴の帰りを待っているうちに机の上でいつの間にかうたた寝をしてしまっていたようで。



「おい。」



いつの間に帰ってきていたのか、不機嫌極まりないクソ兄貴の声で目が覚めた。



「何こんなトコで寝てんだ。バカネ。」

  バカだから風邪はひかないかもしれないけどな。



憎まれ口を忘れないクソ兄貴。



そしてそのクソ兄貴の目は、あたしの手の中の天使に忌々しげに注がれたままだ。



あとで考えると、寝起きでぼんやりしていたとしか思えない。

一切の抵抗もないまま、あたしの愛する汚れなき天使は、すっぽり悪魔の手の中に

収まっていた。囚われの天使。



「ちょ・・・!! おにいちゃん、返してよ!

  それ、アキちゃんから貰った大事なものなんだから!」



あきらかに3テンポはズレたあたしの必死の抵抗を易々とあしらいながら

天使を見つめ、コンペイトウを出すために唯一プラスチックで出来ている底の部分の蓋に手を掛け、

あたしでも開けたことのないそれを、無慈悲にも開け、

あろうことか、数個取り出されたコンペイトウは、あっという間にクソ兄貴の口の中に収まった。



「おにいちゃんっっ! なん・・・・・?!」



抗議の声を上げるより先に

なぜか急にめがねを外したクソ兄貴の顔が近づいて

その理由を考えるより先に



あたしの唇に、クソ兄貴の唇が、重なった。



文句を途中で遮られて軽く開いたままになっていたあたしの口に

クソ兄貴の中の、甘い甘いコンペイトウの味が流れ込んできて、

条件反射で目を閉じているはずなのに

コンペイトウの光が、瞬いて、眩暈が、した。



不覚にも、力が抜けて、クソ兄貴の支えで、どうにか立っている有り様で。

あたしの心臓は、のどにあるんじゃないかと思うほどに、その音は大きく響いていた。



この甘さはいつになったらなくなるんだ。

棘棘したコンペイトウは、丸くなって、そして、どんどん小さくなっていく。

こんな風に、コンペイトウが変えていく形を体感してしまうなんてどうかしている。



顎を掴まれて、その上机に押し付けられ逃げ場のないまま

どれだけ時間が経っていたのだろうか。



「ん?」



気付いたとき、余裕の表情でクソ兄貴はあたしを見下ろしていた。



「な・・・にすんのよ!変・・・態っっ!!」



「もっと食わせて欲しいわけ?」



「そんなこと言ってないでしょ!」





大事にしてたこと、それを無残にも開けて、しかも勝手に人に食べさせて。

もっと言ってやろう、と思っても、言葉が出てこない。



視線が絡んだとき、クソ兄貴はとても真剣な瞳をしていて

その瞳の色に驚いて思わず口をつぐんでしまう。



クソ兄貴の手があたしの髪を一房とって、その長い指に絡ませる。

そしてあろうことか

あたしの髪に、キスをした。



真っ赤になって口をパクパクさせるあたしに、軽く鼻で笑って

それでもここに入ってきていたときよりは格段に機嫌を直して



「メシにするんだろ。」



と悪魔はあたしの部屋から出て行った。









あれから。

机の上のコンペイトウを見るたびにあのことを思い出して

直視できなくなってしまい。



結局、天使の中の残りのコンペイトウは、

あんなに長い間見つめつづけてきたのに、見ないように目を瞑って、ゆっくり味わうことすらなく

あたしのお腹の中に収まった。





――― コンペイトウが消えた、空のガラス細工の天使。





その天使の中に、きれいな、きれいな石が一石、入れられて

悪魔の後光を放っていることに気付くのは、もう少しあとのこと。







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