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なんともあっさりとホワイトデーがやってきた。

バレンタインもホワイトデーも、止めようもない時間の中で

人が勝手にイベントを暦の上にこじつけているから当たり前なのかもしれないけれど

望んでも望まなくてもその日は確実にやってくる。



そして長い間あたしの側で光を弾き続けたキラキラは、今年、その光を失った。

まぎれもない、悪魔の所業によって。







 悪魔の後光・1







3月14日。



あたしはどうやら奥手といわれる種族に属しているらしく

クソ兄貴が同居していた頃はまだバレンタインのことをよく知らなかったし、

たいして興味もなかった。

普段はお目にかかれないような量のチョコを誠さんが会社から貰ってきて

それを容子さんと分け合いながらご相伴に預かることができるという意味で

2月14日は結構いい日らしい、という認識でしかなかったのだ。



そんなあたしが、義理ながらも異性にチョコを贈るという発想が生まれたのは

奇しくもクソ兄貴が家を出た年だったと思う。



自慢じゃないけど、これまでずっとあたしには彼氏という存在はなかったし、

ようやくあたしの脳内にインプットされたバレンタインというイベントも

せいぜい女ともだちとのお菓子の饗宴がメインで、

あげる相手といえば誠さんとアキちゃん。

あたしがホワイトデーのことを知ったのも、その日を覚えられたのも、

紳士なアキちゃんの力が絶大だと思う。

アキちゃんは至極律儀に、毎年マシュマロやキャンディーをくれた。



今あたしの机の上にある、両手を広げた小さなガラス細工の天使は

昔アキちゃんからホワイトデーのお返しで貰ったものだ。

ガラス細工だからここに越してくるとき、荷物の中で一番気を遣った。

天使の中には色とりどりの小さなコンペイトウが、入っている。

もったいなくて食べられやしない。



天使を光に透かしてみれば、びっくりするほどきれいな影ができる。

コンペイトウが光を通すなんてしらなかった。

コンペイトウの、影。





今年あたしは初めてクソ兄貴にバレンタインのクッキーをあげた。



何しろ年に一度のイベントだし。

それに毎年誠さんにもあげていたんだから、特別な意味なんか、ない。



クソ兄貴にとってだって、きっと同じに違いない。

会社で山ほど貰ってきたのを、全部人に押しつけやがった兄貴にとって

あたしからの「いやがらせみたいな形」と毒づいたみすぼらしいクッキーなんて

きっと何の意味もないんだ。



毎年抜けることなく、この日の前後に連絡が来ていたアキちゃんからは

今年に限って連絡がなかったことを思い出し、なんとなく、黙ったままの携帯を見つめる。





そして、今日もクソ兄貴は、居ない。



日曜なのにあたしが朝起きたときにはもういなかった。





キラキラで眩しいチョコの山と、あの甘ったるい匂いを思い出す。

もしかしたら、あれ以外に、たったひとつだけ、あたしに押し付ける前に

自分の手元に残していたのかもしれない。あたしが気付かなかっただけで。

クソ兄貴が選んだ、たった、ひとつだけのチョコ。



それはものすごく高価なチョコだったのかもしれないし

あたしみたいな嫌がらせなんかじゃない、見た目も鮮やかな手作りチョコだったのかもしれない。

唯一、クソ兄貴が手元に残したチョコは。





そんなことを考えてぼんやりしていたとき

不意に携帯があたしを呼んでいることに気付いた。



発信者を確認する余裕もなく、反射的に通話ボタンを押す。



「もしもし」



「・・・・遅い。」



不機嫌そうな声に鼓膜が震える。きちんと見てから出れば良かった。

電話の主はクソ兄貴。



「おにい、ちゃん」



起きてからひと言も喋っていなかったためか不覚にも声が掠れる。



「あと10分で着くから用意して待ってろ。」



だから毎回話が見えないってんだ。



「何、着くって、どこに、」



切れ切れにしか言葉が出ない。



「家に決まってるだろう、このバカ」



バカなのはあんただ。間違いない。



「用意って」



「さっさとしろよ。一分足りとも待たせるな。

    待たせたら車の後からお前走ってついてこい」



一方的にいうだけ言って、しかも肝心なことは何も言わずに切りやがった。

相手の携帯のHOLDボタンが押された後の無情な機械音が耳に響く。



用意とか、あと10分とか・・・・ワケがわからない。



・・・・・・10分?



大体用意って何なんだ。

車のあとを走らせる・・・・あの鬼ならやりかねない。

とりあえず、起きたままの恰好だったパジャマを脱いで急いで支度した。









なんとか、車のあとを走る、というペナルティーからは逃れられたあたしは

クソ兄貴の車の助手席に鎮座する羽目になった。

日曜なのにスーツを着こんで静かに車を出すクソ兄貴はひと言も言わず

案の定何の説明もせず

車の中には重苦しい空気が充満する。

こんな空気を吸ってたらきっとそのうち病に伏せることになると確信した。

いっそ車のあとを走った方がよかったかもしれない。



顔を上げていれば視界の端に見たくもないクソ兄貴が映る。

かと言って寝ようものなら運転中の車から蹴りだされることだろう。

どこを見ることも出来ずあたしはずっと足元を見つめていた。

実際あれでよく酔わなかったものだと思う。





40分ほど走って、クソ兄貴は急に車を止めた。



「降りろ。」



ひと言そう言い捨てた。街中から、結構、走ったと思う。

窓の外を見る余裕すらなかったのでどこをどう来たのか、しらない。

けれど周りは人の密度よりも明らかに木の密度が高いし、郊外であることは一目瞭然だった。



もしかしたらあたしはここに捨てられるのかもしれないという思いが脳裏を駆け巡る。

昔、姥捨て山という悲しくも恐ろしい昔話を読んだ記憶がフラッシュバックした。

17の身空で、こんなところに捨てられるなんて。

しかも曲がりなりにも兄という存在に。

思わず携帯の電波を確認する。かろうじて圏外にはなっておらず、少し安心した。





「さっさとしろ、このグズ。」



クソ兄貴に急かされしぶしぶ車を降りる。

車を降りたところから少し歩くと、視界が開け、

こじんまりとした、おしゃれなカフェが見えた。



「・・・・・・え?」



「入れ。」



ぼんやりと突っ立ったままのあたしの背中をクソ兄貴は軽く押した。



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