トップ - 小説一覧 - 直進メガネ目次

 見えなかった君10
←前へ  次へ→

 それから三日間、一ノ瀬くんとは一度も顔を合せなかった。
 クラスが遠いから仕方がないのだけれど、わたしの携帯電話が一ノ瀬くんからのメールを受け取ることもその三日間一度もなかった。
 あの日の出来事は全部夢だったのかと不安になる度に一ノ瀬くんからもらった初めてのメールを確認した。
 四日目にやっと、自分から連絡をしてみるという選択肢の存在に気づいた。気づいたけれど実際に連絡できるかは別の話だ。一ノ瀬くんから連絡がないということは一ノ瀬くんはわたしに連絡するような用がないということで、わたしも特に用があるわけではないから何とメールを送ればいいのかわからない。
 土日を挟んで月曜日。一ノ瀬くんから連絡が来ることも、自分から連絡することもできないまま一週間が過ぎそうになったその日の放課後、もしかしたら付き合うことになったのはわたしの勘違いかもしれないという不安が振り払えないくらい大きくなり、とにかく一ノ瀬くんの姿を確認するだけでもしようと思い立ちわたしは決心が鈍らないうちに南校舎に向かった。

 一ノ瀬くんのクラスは三年一組。西側の渡り廊下を渡ったらすぐだ。校舎が違うだけで同じ三年生の教室とその廊下のはずなのに雰囲気が全然違って落ち着かない。
 とりあえず廊下に出ている人の中で見える範囲には一ノ瀬くんの姿はない。もう帰ってしまったのかもしれないけれど一応掃除中の教室内もさり気なく見ようと一組の教室の前を通ってみることにした。
 前の入り口からは一ノ瀬くんの姿を見つけることはできなかった。後ろの入り口からも確認しようとしたところで教室から出てきた人とぶつかりそうになった。
「ご、ごめんな」
 最後まで言えなかったのは相手の顔を見てしまったからだ。こっそりさり気なく遠くから見るだけのつもりだった一ノ瀬くんが目の前に、いた。
 嬉しさと恥ずかしさが同時に襲ってくる。さらに、もしここで何もなかったように一ノ瀬くんに無視されたらという恐怖まで湧き上がってきて何も考えられなくなった。
 一ノ瀬くんの顔から目を無理やり逸らして、逃げた。

 わたしが無視してどうする。

 大した距離でもないのに息を切らせて何とか下駄箱に辿り着いたわたしは、その場に崩れ落ちそうになりながら深呼吸した。八組の下駄箱周辺に人がいないのは幸いだった。
 一ノ瀬くんに会えた嬉しさはどこかへ吹き飛び、代わりにやってきた自己嫌悪と残った恥ずかしさで気持ちが沈む。
「古谷さん」
 沈んでいる途中で名前を呼ばれて反射的に振り返った。驚きのあまり危うく叫びそうになったのをどうにか抑え込む。そこにいたのはさっきわたしが逃げてきたばかりの。
「い、一ノ瀬くん」
 わざわざ追いかけてきてくれたのだろうか。もしそうなら、嬉しい。
 一ノ瀬くんの目に、わたしはちゃんと映るようになったのだ。
「俺に何か用があったんじゃないの?」
 一ノ瀬くんはポーカーフェイスというわけではないしわたしも一日で色々な表情を見たのに何だか掴みどころのないイメージなのは、多分動揺が見えないからなのだろう。あの日も今も慌てふためいているのはわたしだけ。
「用は、別になかったんだけど」
「うん」
 何と説明すればいいのか考える。偶然、はさすがに無理がある。正直に言うのも恥ずかしい。
「一ノ瀬くんがいるかどうか、ちょっと、確認、したかった、だけ、で」
「なんで?」
 うまい言い訳が思いつかず中途半端に説明したら一ノ瀬くんは容赦なくつっこんできた。
「本当に一ノ瀬くんと付き合うことになったのか、不安になった、から、です」
 結局全部正直に告げてしまった。
 言いながら自分の顔に血が上るのがよくわかった。これで一ノ瀬くんに全部否定されたら。
「付き合うことになったんじゃないの?」
「そ、それでいいんだよね。よかった」
 一ノ瀬くんの一言で自分ではどうやっても振り払えなかった不安が簡単に吹き飛んだ。
「ああ、そっか。今日これから何か予定ある?」
 一ノ瀬くんが何かを思いついたように言って、わたしは思わず身構えながら答えた。
「何も、ないけど」
「じゃあデートとかしてみる?」
「で、でーと?」
 自分の声がどこから出たのかわからなかった。身構えても一ノ瀬くんの前では何の意味もない。
「いや?」
「ま、まさか! いやじゃない。全然」
「じゃあ行こう」
 本当にさり気なく一ノ瀬くんがわたしの手を取ろうとして、わたしはとっさにその手をはねのけてしまった。
「ごめ、ごめん!」
「……俺と手を繋ぐのはいやなの?」
「いやとかじゃなくて、は、恥ずかしくて、その、本当にごめん!」
 一ノ瀬くんとこうして話している現実にもまだ慣れていないのに、さらに手を繋ぐのは今のわたしには無理だった。
「でもこの間は普通に繋いだじゃん」
「あれは、突然で、何が起こったのかわからなくて、一ノ瀬くんと初めて話したばかりだったのに」
 思い出しただけで顔に血が上る。
「んー、まあいいか」
 一ノ瀬くんはそのまま靴に履き替えて行ってしまう。その様子を眺めていたわたしも我に返って慌てて一ノ瀬くんを追いかけた。
「あの、どこ、どこに行くの?」
 校門のところで何とか追いついて声をかける。
「ゲーセンとか行こうと思ってたけどやめて俺んち」
「え、なんで」
 一ノ瀬くんの家での自分の失態の数々がよみがえる。
「一緒に遊ぶ前にお互いのこともっと知ったほうがいいと思って。よく考えたら俺、古谷さんのこと何も知らないし」
「あ、そうだよね」
 わたしはずっと一ノ瀬くんのことが好きだったし、ミキちゃんに教えてもらった一ノ瀬くん情報があったけれど、一ノ瀬くんにとってわたしは突然告白してきた見ず知らずの人間なのだ。
「古谷さんは、俺のこと横井から聞いたの?」
 歩きながら一ノ瀬くんが尋ねてくる。
「う、うん。たまたまミキちゃんと知り合って、偶然一ノ瀬くんと同じ部活で、それで、ええと、ちょっとだけ」
 うそはついていないのにどうしてもしどろもどろになってしまう。
「横井、俺の悪口ばっか言ってそう。いっつも怒られるし」
「そんなこと、ないよ全然」
 むしろミキちゃんはわたしの夢を壊すようなことは言わないでいてくれた。
「ふーん」
 それで会話は途切れ、一ノ瀬くんの家に着くまで一ノ瀬くんもわたしも無言のままだった。わたしは一ノ瀬くんの隣を歩いている間、心臓を少しでも静めることで頭がいっぱいだった。

←前へ  次へ→

トップ - 小説一覧 - 直進メガネ目次