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 見えなかった君02
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 目を輝かせる彼女にわたしはこくこくと何度か頷いて答えた。

 詳しい話は明日の放課後視聴覚室で。
 ミキちゃんに言われわたしは翌日再び視聴覚室の前に立っていた。
 何度深呼吸をしても落ち着けなかったから、息を大きく吸い込んだところで止めて戸を二回叩いた。意味のないノックをして息を吐き出し最初の小さな、わたしにとってはとても大きな一歩を踏み出した。
 戸を開けると視聴覚室の中央付近に座っていたミキちゃんが振り向いて手を振ってくれた。わたしは頭を下げて後ろで戸を閉めた。
 中学の視聴覚室は白くて清潔なイメージだったけれどこの高校の視聴覚室は茶色くて、天井から何台かのテレビがぶら下がっていて長机が適当に並べられているだけの実に寂しい教室だった。
 視聴覚室の窓には全て黒いカーテンが引いてあった。これから人にはあまり聞かれたくない話をするわたしには、蛍光灯の明かりだけの室内は何だかありがたい。
 ミキちゃんは長机に三つ並んでいる椅子の左側に座っていた。わたしは椅子を一つ開けて右側に座って机の上に鞄を置いた。
 ミキちゃんは体ごとわたしのほうを向いた。わたしも同じように体をずらしてミキちゃんと向き合う。
「それじゃ、改めて自己紹介。私、探偵部の副部長やってる二年二組の横井美紀です。よろしく」
 部長じゃなくて副部長だった。ということはあのポスターの情報は別に古いわけではないのかもしれない。
「二年八組の、古谷直、です」
「フルヤナオさん、ね」
 ミキちゃんは赤い手帳に可愛いマスコットのついたペンを走らせる。
「私の話、誰から聞いた? あんまり派手に宣伝するとやりにくくなっちゃうから、一年くらい前に身近なところからひっそり始めたんだけど、紹介とかじゃなくて見ず知らずの人が来るのは、実は古谷さんが初めてなんだ」
「トイレで、噂話を耳にして」
「おお! 何か嬉しいねー」
 ミキちゃんの笑顔につられてわたしも笑顔になる。ミキちゃんがこの人でよかった。
「何か誤解があったりするといけないから一応説明しておくね。私は古谷さんのことを絶対に誰にも言わない。このメモも誰にも見られないようにしっかり管理するし調査結果を報告したら必ず処分する。調査も、本人には気づかれないよう細心の注意を払うし、もし気づかれても誰から頼まれたかは私が黙っていればわからないから。他に何か気になることがあったら何でも訊いて」
 思っていたよりもずっと真摯なミキちゃんの態度に感動した。笑われたりバカにされたりしたらどうしようと心配する必要なんてなかった。
「あ、お金は」
「あはは、こんなのでお金なんて取れないよ」
 もう一つの心配事もミキちゃんは笑顔であっさり流した。
「じゃあ、何を」
「んー、しいて言うなら報酬はこうして調査を頼んでくれることかな。好きな人のことを調べてくれって頼むのも結構勇気がいることだと思うし、私の趣味でやってることだから。他にも何かある?」
 わたしはしばらく考えてから首を横に振った。
「よし、じゃあ本題に入りますか! 古谷さんは誰のことが知りたいの?」
「二年五組の人。名前は……知らなくて、あ、それでも平気?」
「もっちろん。クラスがわかってるなら名前もすぐにわかると思うよ。安心して。どんな人かわかる範囲で教えてくれる?」
 わたしは目に焼き付いているあの人の姿をミキちゃんに説明する。
「ふむふむ、サラサラの黒髪……」
「中肉中背で、あ、あと左目のところに泣きぼくろがあって」
 重要な手がかりになりそうな特徴を口にしたら、ミキちゃんの手帳に書き込んでいた右手がぴたりと止まった。
「泣きぼくろ?」
「う、うん。確か小さいのが」
 わたしはもう一度記憶の中のあの人を思い出して頷いた。
「二年五組の泣きぼくろって、まさか」
「ミキちゃ……横井さん、知ってるの?」
「ミキちゃんがいいな。一応他にいないか確かめてみるけど、心当たりが一人いるにはいます」
 ミキちゃんにミキちゃんと呼んでいいと言ってもらえたのと、名前も知らないあの人のことが本当にわかるのだと思ったら、暴れ気味だった心臓がますます暴れて左手で作った握り拳を胸に押し付けた。
「いるにはいるんだけど、うーん」
 何故かしばらく唸っていたミキちゃんはよし、と手帳を閉じた。
「とにかくその人のこと、調べてみるね。これは絶対に知りたいってことはある? 住所とかメアドとかはだめだけど」
 知りたいことならたくさんある。ありすぎてどれを言えばいいのかわからないくらい。
「名前、と、あとはいっぱいありすぎて」
「そっか、じゃあとりあえずミキちゃんのお任せコースでいってみよう。あ、そうだ、これ渡しておくね」
 ミキちゃんは小さなメモをわたしに差し出した。
 ミキちゃんの名前と携帯電話の番号とメールアドレスが書いてあった。
「報告はできれば直接したいから一週間後にまたここに来てくれる? 都合が悪いとかやっぱりメールでがいいとかだったら連絡してくれれば調べたこと送るから」
「うん、よろしくお願いします」
 最後にわたしはもう一度深々と頭を下げた。



 その一週間の間に三度もあの人の姿を見ることができた。
 一度目はミキちゃんと別れたその後。下駄箱から靴を取り出しているあの人に遭遇した。五組の下駄箱は八組の下駄箱と同じ通路に面していたけれどわたしの登下校の時間はあの人とは全く違うらしく、今まであの人の姿をそこで見かけたことはほとんどなかった。まさかの遭遇にわたしは思わず近くのトイレに逃げ込んでしまった。わたしにもう少しだけ勇気があればたとえ数秒でもあの空間で二人きりになれたのに。
 二度目は後ろ姿だった。昼休みにパンを買いに行こうとして、渡り廊下を歩いているあの人の後ろ姿に気づいた。何度も見ているわけではない後ろ姿でもわかるくらい、好きだった。
 三度目は被服室から八組に戻る途中。五組の教室の前を通るときに教室内が見えたら必ずさり気なくあの人の姿がないかチェックするのが習慣となっていて、そのときは黒板を消しているあの人を一瞬見ることができた。
 位置的に八組のわたしが五組の教室の前を通ることは教室移動のときくらいしかないけれど五組の人は教室移動以外に体育館に行くにも外に出るにも遠回りでもしない限り八組の前を通らないと行けない。だから本当だったらあの人を見るチャンスももう少しあるはずなのに、一学期の終わりにした席替えでわたしは一番廊下側の前から三番目の席になり、横は壁、前も後ろもわたしの席から廊下を通る人を見ることは難しかった。そしてその席替えが二年で最初で最後の席替えだった。



 長くて落ち着かない、でも幸せな一週間を過ごした後、わたしは一週間前と同じ場所で同じようにミキちゃんと向かい合っていた。
「では、まず確認を」
 ミキちゃんは制服のポケットから取り出したオレンジの携帯電話を両手で厳かに開いてわたしに見せた。
「この人で間違いありませんか?」
 わたしは身を乗り出し画面を見つめた。
 そこには多分視聴覚室で、頬杖を突きながら本を読んでいるあの人の横顔があった。本にはわたしも時々寄る駅前の本屋さんのカバーがかかっている。
「この人、です」
 震えそうになった両手を膝の上で握り締めた。本当に、あの人だった。
「……そっか」
 ミキちゃんは何故か小さなため息をついた。
「あの、何かあるの?」
「え? あ、いやいや全然! ノープロブレム! 調査結果を報告します!」
 ミキちゃんは携帯電話をしまうと赤い手帳を開いた。わたしは姿勢を正してミキちゃんの言葉を待つ。
「二年五組の泣きぼくろの彼は、一ノ瀬高志と言います」
 いちのせたかし。やっと知ることができた名前を心の中で繰り返した。それからどこかで聞いたことのある名前だと気づいた。違う。一ノ瀬高志。聞いたことがあるのではなくて見たことがある名前。
「出席番号は三番。我が探偵部の部長をやっていたりします」

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