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見えなかった君01
中学時代のわたしのあだ名はメガネだった。
おしゃれメガネとはほど遠い、我ながらやぼったいと思うような感じの黒縁メガネをかけていたせいか、直接呼ばれたことはなかったけれど男子に「あのメガネさー」みたいな言い方をされているのを何度か聞いたことがあるからやっぱりわたしのあだ名はメガネだったのだと思う。
メガネを外したら美少女という夢のような設定はもちろんなくて、現実はメガネがあってもなくても鏡を見ると何となくため息をついてしまうような顔だ。かと言って自分の顔が大嫌いというほどでもなく、不満はあるけれど時々わたしも結構いけるんじゃないかと思う瞬間がないわけではなかった。
うまくいけば八十年はあるはずの人生のうちの十数年目でメガネなしでは生きていけない体になってしまった事実を悲しみつつも、評判が殊更悪い黒縁メガネはすでにわたしの体の一部になっていた。
中学の初め頃からかけるようになったメガネは中学を卒業する頃には度が合わなくなり、高校進学を機に新調することになった。せっかくおしゃれメガネに変われるチャンスだったのにそれまでのとほとんど同じデザインのメガネを選んだら家族からも非難轟々だったけれど、自分にはこれしかないと思い込んでいたわたしは新しいメガネに十分満足していた。
よく見えるようになった、見た目はあまりいいとは言えない大切なメガネとともに入った高校でわたしは恋をした。
入学式の日だった。
式が終わって体育館から教室に戻る途中。期待一割不安九割の気持ちを抱えながら人の波に流されていたわたしの近くをたまたま歩いていた男の子と、たまたま目が合った。本当に目が合ったと言えるかどうかもわからない、それくらい一瞬のことだった。
一瞬のことだったのにわたしの決してよくない目にはしっかりと焼きついた。
一重で切れ長の涼しげな目元。左目のすぐ横に小さなほくろがあって、派手なわけでも目立つわけでもないけれど整った顔をしていると思った。あまり日に焼けたことがなさそうな肌にサラサラの黒髪。きれいな姿勢で学ランをきっちり着こなしていて、全身にストイックな空気をまとっているその姿はわたしが心のどこかで描いていた理想の人そのもので、こんな人が同じ学校の同じ学年に存在していることが信じられなかった。
レンズを通して見るのが当たり前になっていた世界で、初めて何も通さない自分の目で見たいと思った。
一目惚れだったと、後になって気づいた。
立ち止まりそうになる足を何とか動かしてその人の背中を目で追いかけた。
そのときにわかったのはクラスが違って校舎も違うらしいということだけ。
あまりにも接点がなさすぎたのとわたしが受動的すぎたのが原因で、最初の一年は自分の僅かな記憶の中の彼に恋をしていた。あの一瞬の光景を何度も何度も繰り返した。
秋の体育祭でやっとあの人が二組だと知り、憂うつでしかなかった体育祭に初めて感謝した。
クラスを知っても、二組に知り合いがいるわけでもなく用もないのに違う校舎の教室まで行ってみる勇気はなくて今までと何も変わらなかったけれど、二組に行けば確かにあの人がいるのだという状況はそれまでとは全然違った。いつの間にか二組のほうばかり気にするようになっていた。
二年目はクラスは違ったけれど校舎は同じになって一年のときよりも距離が近くなった。
五組の教室に入るところを目撃したからその人は五組で、わたしは八組だった。嬉しくて夢じゃないかと思った。
廊下ですれ違うこともあった。入学式の日よりも背は少し伸びていたけれど雰囲気は少しも変わっていなかった。
友達と楽しそうに笑い合っているあの人。物憂げに窓の外を眺めているあの人。自分の記憶の中のあの人がどんどん更新されて好きだという気持ちは際限なく膨らんでいく。
片思いなら小・中学校で何度かした。好きになるのは同じクラスの男子で、困っているときに手を貸してくれたとか少しだけ他愛もない話をしたとかそんな理由で恋に落ちて、クラスが分かれたり卒業したりで諦めるというのが今までパターンだ。
あの人の場合は最初からクラスが別で、そもそも一目惚れ自体初めてで、全てが今までの淡い恋とは違った。
名前も知らない。話したこともない。これは本当に恋なのかと不安になったこともあったけれど、これが恋ではなかったらわたしの今までの密かな片思いも恋ではなかったことになってしまう。
あの人に対する胸の高鳴りは今まで好きになった人に対してのそれと同じで、むしろそれよりも激しくて、やっぱりわたしはあの人が好きだった。
一年目よりも遥かに大きくなった気持ちを抱えていた二年目の終わりに探偵部のミキちゃんという人の噂を耳にした。
探偵部はミステリーを読んだり書いたりする部で、もし部活動が強制参加だったらわたしは探偵部に入っていたと思う。実際は自由参加だから入らなかったけれど。
その探偵部の部長のミキちゃんという人が非公式に調査を請け負っているらしい。依頼人は恋する乙女限定で、調査の相手は恋する乙女の好きな人。つまり好きな人の彼女の有無やら誕生日やら趣味やらをこっそり調べてくれるというのだ。
わたしの頭は、トイレに入っているときにたまたま聞こえてきたその噂話でいっぱいになった。
わたしは好きな人の名前すら知らなかった。話したことももちろんない。せめて名前だけでも知りたいという欲求は噂話を聞いた一週間後にはこれ以上ないくらいに膨れ上がっていた。
探偵部の活動場所が視聴覚室だということは、視聴覚室の横の壁に目立つポスターが貼ってあったから知っていた。授業で視聴覚室を使ったときに改めて確認したら活動日は火曜日と金曜日で、部長はミキちゃんのはずなのに一ノ瀬高志という名前になっていた。ポスターのくたびれ具合からすると、この情報は少し古いのだろう。
活動日は変わっていないことを祈って火曜日の放課後、当番の掃除を終えてから衝動に任せて震えそうになる脚で視聴覚室に向かった。
南校舎二階の端にある視聴覚室の戸は閉まっていた。視聴覚室の広さを考えるとノックをして聞こえるのかわからない。勝手に開けていいものなのかもわからない。そもそも誰もいないということもあり得る。
急に、噂話一つで一週間も悩んで勢いあまってこんなところまで来てしまった自分が恥ずかしくなってくる。誰にも見られないうちに帰ったほうがいいのかもしれない。
「もし、そこのお方」
声とともに肩を叩かれ、わたしは驚きのあまり声を上げそうになった。
「探偵部に何かご用で? 入部希望?」
振り返るとそこには女の子が一人笑顔で立っていた。
ゆるいパーマのかかった栗色の長い髪を耳の下で二つに結んでいて、背は、百六十センチのわたしより少し高い。短すぎないスカートからすらっと伸びた脚に思わず目がいってしまった。
どうやら探偵部の人のようだ。できれば誰にも見られたくなかった姿を見られてしまった恥ずかしさと闘いながら何とか口を開く。
「探偵部のミキちゃん、という人に会いたいんですけど」
「はいはーい!」
目の前の彼女が勢いよく右手を上げ、わたしは思わず後ろに一歩下がって視聴覚室の戸にぶつかった。急に動いた空気と一緒に、甘い香りが微かに漂ってきた。
「私が探偵部のミキちゃんです。もしかして私にご依頼ですか?」
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