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第6話 ぽろぽろ
いつものように屋上へ行こうとした途中、あたしは先生に捕まってしまった。提出物をあたしだけ出していなかったのだ。
散々お説教を食らってやっと解放されたあたしは、急いで階段を上った。
乱れた髪と制服を直し、扉を開ける。
そしてすぐに閉めた。
一瞬、世界が真っ白になった。
屋上にいたのは結城くんと二宮さん。
二人は今、何をしてた?
視力1.2のあたしの両目が確かなら、今二人は。
キス。
してた。
うそ。
結城くんが二宮さんのことを本気で好きになるはずがない。
そう思い込んでいた。
結城くんは、二宮さんがいてもいなくてもいいって感じで、話してるところだってあまり見たことないし。
……違う。
気づいてないふりをしていたけど、本当は知ってる。
結城くんがよく二宮さんに視線を向けること。
三人でいて、あたしが結城くんに話しかけているとき、結城くんが何気なく二宮さんのほうを見ること。
二人の間に割り込んだのはあたしで。
あたしが入り込む隙間なんて最初からなかったんだ。
どれくらい経ったのか、目の前の扉が不意に開いた。現れたのは二宮さん。
「あ、由良木さん……」
あたしは言うべき言葉が見つからず、黙って俯いた。
「私、もう結城くんの"犬"はやめました」
「そう、なんだ」
顔を上げられないまま声だけ何とか出した。
二宮さんは"犬"から"彼女"になったんだ。よかったね、なんてあたしは言えない。
「私は結城くんから卒業したんです。だから今度は由良木さんの番」
「え?」
思ってもいなかった言葉にあたしは思わず顔を上げた。
二宮さんは一瞬、すごく綺麗に笑んであたしの横を通っていった。
そのときに見た二宮さんの横顔にあたしは言葉を失った。
今になって気づいた。
二宮さんは何て綺麗で、何て強い人なんだろう。
あたしはバカだ。
最初から二宮さんにかなうわけなかったのに。
胸が苦しくて、息もできなくなるくらいに。
無意識のうちに屋上の扉を開ける。
細かい雨が降っていた。
「結城くん、濡れちゃうよ」
結城くんはいつものようにフェンスに寄り掛かり、眠ったように座っていた。
「結城くん?」
本当に寝てるのかと思ってもう一度声をかけると、結城くんは僅かに顔を上げた。
「……二宮さん、行っちゃったよ」
あたしは結城くんの隣に腰を下ろす。
「いつか、こういうときが来ると思ってた」
掠れた声で結城くんが言う。
「やっぱり、二宮さんのこと、好きだったんだ」
「ただ、傍にいたかった。あいつと一緒にいるときだけは、安心できたから」
雨がもっと強く降れば、ここで泣いてもわからないのに。
「一緒にいたいなら、何でそうしないの?」
言葉を出すごとにあたしの傷は深く、抉られていく。
「好きなら追いかけなよ。追いかけて、ちゃんと伝えなよ」
結城くんがあたしのほうに顔を向ける。
もしかしたら泣いているのかもしれないと思ったけど、泣いてはいなかった。
「あたしなら追いかけるよ。何もしないで後悔するのは嫌だもん」
「……あんたならそうするんだろうな」
目を少しだけ細めて。
こういう笑い方もするんだ。
「結城くんも、そうしてよ」
「俺はあんたみたいに強くない」
「あたしだって、別に」
今だって、泣くのを必死に堪えてる。
「あたしのためにも、二宮さんを追いかけてよ」
あたしが好きになった結城くんはいつもマイペースで、どんなことにも動じなくて。
「こんな弱虫な結城くんを好きになったんじゃない。最後までちゃんとあたしに夢を見させてよ」
結城くんが右手を持ち上げる。
あたしは頭に重さを感じる。
「ありがと」
あたしの頭を撫でて、目を細めて、そういう言葉が結城くんの口から出ると思わなかったからびっくりした。
あなたは本当に結城くんですか。
あたしの心臓がドクドクしているから、きっと結城くんなんでしょう。
「男なら当たって砕けろ」
「そうする。ユラみたいに」
「おう、あたしは砕けても復活するぞ」
立ち上がった結城くんを見上げる。
「頑張れ。駄目だったらあたしの胸を貸してやる」
無理やり笑顔を作って、あたしは結城くんを見送る。
扉の向こうに結城くんの姿が消えるのを見て、自分の頬に触れてみる。
大丈夫。涙は出てない。
ここまで来たら意地でも泣くもんか。
「よし」
大きく息を吐き出して立ち上がる。
雨がいつの間にかやんでいた。
「まだ、大丈夫」
あたしは自分のできることをちゃんとやって、こういう結果になった。
だから後悔はない。
今は痛くても、いつかまた結城くんと笑って話せるようになっているといい。そのときは"犬"から"友達"くらいにはしてくれるかもしれない。
大きく伸びをして、結城くんがいつも見上げていた空を仰ぐ。
雲間から少しだけ覗いた水色が何だか嬉しくて、涙が出そうになった。