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「やっぱ坂口さんって凄いわ」


   09.ひとりの夜 - 04 -


 改札口を出たところで「はよ」って、後ろから。聞きたいけど聞きたくない声。
 わたしも震えそうになった声でおはようって返して、神くんは先に行かないでわたしの隣に並んで、何故かまた一緒に行くことになってしまって歩き出してすぐ。
 凄いって、何が。
「昨日、坂口さんから電話があったって宗太郎から聞いて」
 ギュって握った両手、凄く汗をかいてたからスカートでこすった。
「なんでわかんの?」
 足元に向けていた視線を、少しだけ上に向ける。なんでわかんのって、何が。
「俺のケータイに電話して宗太郎が出たら、家族だって百パーセント俺と間違えるよ。また坂口さんが初めて。『もしもし』だけで俺と宗太郎の区別がつくの」
(神くんと宗太郎さんだからわかるんです)
 他の双子の声だったらきっとわからないけど、神くんと宗太郎さんの声だから。
 大好きな人の声だから。
「なんとなく。凄く似てる、けど。やっぱり違う気が、して」
 声の出し方がわからない。神くんと一緒のときは時々歩き方までわからなくなる。今もうまく歩けてない気がする。
「……あ、それで昨日はごめん。せっかく電話してくれたのに、ケータイ忘れて部屋出ちゃって」
(ごめん)
 神くんの声が耳の奥に響いてから突然、とんでもないことをしてしまったような気がした。
 神くんに凄く迷惑なこと、した。
 宗太郎さんの言った通りだ。神くんの優しさに甘えて、付きまとうようなことしてる。
「ごめ、ん。もう、かけないから」
「かけて欲しくなかったら、最初から番号なんて教えてないよ。昨日、何かあった?」
 泣きそうになったから唇をきつく噛んで少しだけ首を横に振った。
「そう言えば、神くん、好きな人とうまくいったんだね」
 神くんの口からもう一度、はっきりと言ってもらえば、今度こそ本当に諦められるかもしれない。優しくしてもらっても、変な勘違いはしなくなるかもしれない。
 だから。
「宗太郎が、またなんか言ったの?」
 神くんの声が、少し低くなった気がして。
 もしかして怒ってる?
 わたしがまた踏み込みすぎた?
「あ、の、神くんは女の人のところにいる、って」
 声が震えた。握り締めた手のひらにつめが食い込んで痛い。
「昨日は、実家に帰ってただけだけど」
 実家。
 お父さんとお母さんのいるところ。女の人のところじゃない。
「その人のことは、まだ見てるだけだから」
 一瞬、凄く嬉しくなって、そのあとすぐにナイフで心臓を貫かれたような感じがして、息ができなくなった。
 わたし、本当に馬鹿だ。神くんの口から直接好きな人のことを聞くなんて、無理に決まってる。
 その場で耳を塞いでしゃがみ込んでしまいたかった。

(わたしのことなんて見なくていいから、その代わり他の誰も見ないで)

(嘘。本当は、わたしのことを)

 何も聞きたくない。何も見たくない。何も考えたくない。
(神くんと宗太郎さんに思われている人)
 きっとわたしの持っていないもの、わたしの欲しいもの、全部持っている人。

 どろどろの、思考に掴まる。

 そんな人、いなくなってしまえばいいって本気で思ったわたしは誰よりも汚くて、それなのに、神くんと宗太郎さんに他の誰も見ないでわたしのことを見てほしいって馬鹿なこと、まだ考えてる。
(わたしのことだけを)

 底なし沼に足を踏み入れて。

「あのさ、もしかして、まだ具合悪い?」
 神くんの声、聞きたくないけど聞きたい。
 もがけばもがくだけ抜け出せなくなってどこまでも沈んでいくような。
 首を横に振って無理やり声を出した。
「薬飲んで寝たら、治った」
 ここで泣いたら神くんが困る。だから泣かない。
「そっか、よかった」
 とどめ、さされたかと思った。
 誰よりも優しくて、誰よりも酷い人。





 いつもはあまり鳴らない電話が、近頃いっぱい鳴ってる。
 さっさと戻しておけばよかった子機をまだ自分の部屋に置いたままだったから、ベッドに横になった途端に鳴り出した電話を無視できなかった。
 ベッドに座って通話ボタンを押す。
「もしもし」
 言って返ってきたのは沈黙だけ。
 無言電話だと思って気持ち悪くなって、電話を切ろうとした途端、声がした。
『……俺、神だけど』
 びっくりして電話を落としそうになった。
「宗太郎、さん」
 初めてだ。宗太郎さんが用件を言う前に名乗ったの。
「もしもし……?」
 受話器から何も聞こえなくなって少し不安になって。
『あんたさ』
 しばらくしてから宗太郎さんの声が耳に届いた。
『ホントむかつく』
 いつもと違うと思ったけどやっぱり同じだった。
 どうしていきなりそんなことを言われないといけないの。
「何か、用ですか」
 その一言でも傷つくなんて知られたくないから、平気なふりして声を出す。
『別に』
 宗太郎さんはわたしのことを嫌いで、何もないのにわたしに電話してくるはずはなくて、だからきっと何か用があるはずで。
 沈黙が続いて、でも電話が切られる気配はなくて、どうしようって思ってたら。

『昨日、何かあったの』

(なんで急に、そういうことを)
 凄く素っ気なくて、いつもと同じ感じで言われたのに、不意打ち過ぎて涙を堪えられなかった。
(助けてって言ったら、宗太郎さんは助けてくれる?)
 例えば、くだらない秘密とか、言ったら宗太郎さんはどうするの。
 馬鹿なこと考えて。
「何も、ないです。別に」
『あんた泣いてんの?』
 宗太郎さんの言葉はいつも直球で、わたしに向かってくる。
「泣いて、ない」
 声が震えてしまったから宗太郎さんには嘘だとわかったかもしれない。
 これ以上何かを言ったら泣いているのを誤魔化せないと思って、そのまま電話を切った。
(宗太郎さんの、馬鹿)
 気まぐれの優しさなんて、もらったら余計に苦しくなる。





「坂口さん、はよ」
 人の波に押されながら改札を抜けて、後ろから、今日もまた。もしかしたらまた神くんに声をかけられるかもしれないって期待してた自分が一番嫌なのに、神くんに腹が立って。
(最低だ)
「宗太郎が」
 神くんの声で沈み込んでいた思考を現実に引き戻される。
 今日も一緒に学校へ。嬉しいのか苦しいのかよくわからない。
「すっげえ悔しがってた。昨日、俺のふりして電話したのに、坂口さんはまたあっさり宗太郎だってわかったみたいだから」
 神くんのふり。そんなことのために嫌いな人間に電話なんかして、宗太郎さんは子供みたいだ。
「坂口さんって耳がいいのかな」
「や、全然、そんなんじゃない、です」
 それで会話が途切れた。
 わたしからはうまく話しかけられないから、神くんが黙ってたら会話はなくて、沈黙。こういうとき、神くんは何を考えてるんだろうって思うと凄く怖い。
 神くんは優しい人だけど、心の中ではわたしのことを本当はどう思ってるかなんて、わからなくて。
 色々なこと考えて色々なこと見ないふりして気がついたら学校に着いていた。
 教室に行くまでも何もないと思ってたけど、神くんがいきなり何かを思い出したみたいに「あ」って声を出した。
「そういや」
 階段を上ってる途中。
「今日は弁当持ってきた? いつも持ってきてるのに昨日は忘れてたみたいだから」

 ――わたしじゃない人のことを見てるくせに、なんでわたしのことまで気にしてくれるの。

「神くんには、関係ない」

 言葉が勝手に出てきて気づいた。
 初めからこうすればよかった。
(神くん、もうわたしに構ってくれなくていいよ)
 神くんは優しすぎるほど優しい人で、わたしみたいな嫌な人間のことも気にしてくれて、普通に接しようとしてくれるから。
 わたしが神くんから離れればよかったんだ。

(大丈夫。ちゃんとできる)
 今までが狂ってただけだから。

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