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 どくんって心臓が大きく跳ね上がった。


   09.ひとりの夜 - 03 -


「え……?」
 帰りのホームルームが終わってすぐに教室から出たからクラスの靴箱のところにはまだ人はいない。わたしと神くん以外は。
「だから、家まで送るよ」
 きっともの凄い間抜け顔で聞き返したわたしに神くんがもう一度同じ言葉を繰り返す。聞き間違いじゃなかった。
「ほら、俺保健委員だし、やっぱり坂口さん、つらそうだから」
「や、別に大丈夫、です」
 どうして神くんは、人にこんなに優しくできるんだろう。
 昨日、何も聞いてなかったらわたしはまた舞い上がって喜んで、夢を見ていられた。でも、今はもう、駄目だ。
「ありがとう、ごめん」
 それだけ言って、頭下げて神くんの前から離れた。



 家に帰って熱を測ってみたら三十八度になっていた。
 トーストを一枚食べてから解熱作用もあるらしい、時々飲む頭痛薬を飲んでベッドに横になった。
 目を閉じる。暗転。

(神様)

 衝動に駆られた。
 目を開けて起き上がって、いつもはなんだかもったいなくて見られない、引き出しの中にしまってあった、あの絵が入った筒を取り出す。
 丸まっていた画用紙を広げて、青が目に飛び込んできて。
 見る度に涙が溢れそうになる。
 その度に強くなりたいと願う。
 何もしないで強くなんてなれるわけないって、わかっているけど。
(宗太郎さんはなんでこんなに綺麗な絵を描いてくれたの)
 宗太郎さんがいつどこでわたしのこと知ったのかわからないけど、こんなに綺麗な絵を描いてもらえて本当に嬉しくて。
 たとえ一番嫌いなものとしてでも、本当に、泣きたくなるくらい嬉しかったから。

(あ、駄目だ、落ちる)

 目を閉じてまぶたの裏、頭の奥、赤い光が点滅する。
 ひやりと、全身を冷たい空気に覆われる。何かが怖くて、全てが怖くて。
(だれか)
 何もない空っぽの空間に放り出されたような。違う。これは水の中だ。暗闇。寒くて、何もなくて、誰もいなくて、ひとり。息ができない。

(だれか)

 声を。せめて声だけ。今だけ。
 魔法の番号、最初で最後。一度だけ。
 まぶたを持ち上げる。リュックの中から生徒手帳を取り出して、挟んであった紙を開いた。綺麗に並んだ十一桁の数字。神くんが書いてくれた特別な数字。
 震えが止まらないままの手で、まだ置きっ放しにしていた子機を持ってベッドに座る。なんか凄いことをしてる気がするけど、うまく頭が動いてくれないから何も考えられない。
 ボタンを押していく。何度も押し間違えてやっと繋がった。

(一回……二回……)

『もしもし』
 三回目の呼び出し音で出た声が神くんのものではなくて、何かを考える暇もなく体が勝手に動いて電話を切っていた。
(宗太郎、さん)
 ただでさえ速かった鼓動が余計に速くなる。
 その後すぐに手に持っていたままの電話が鳴り出して、本気で心臓が止まってしまったかと思った。
 つばを飲み込んでから通話ボタンを押す。
「もし、もし」
『何』
 宗太郎さんの声で。どうしてわたしが電話をかけたってわかったのかと思ったけど、携帯電話にかけたことをすぐに思い出した。
「あ、の、さっきの、ごめん」
 緊張しすぎて頭の中が真っ白になりそう。
「神くんにかけたと思ったのに宗太郎さんが出て、それで、びっくりして」
 しばらく沈黙があって、心臓が痛い。
『なんの用』
 いつもと同じ宗太郎さんの声だったけど、前までなんとか大丈夫だった冷たい感じが、今は駄目だった。
 この人に優しさを求めるのは馬鹿だとわかっているのにそれを求めたかった。
「別に、用はないんだけど、神くんに電話番号、教えてもらったから、試しにかけてみようかなと、思って」
 宗太郎さんが怖くて声が震えそうになった。
(お願いだから今はやめて)
 今のわたしは宗太郎さんの言葉に耐えられないから。
『それで』
 何かを言おうとしても言葉が出てこない。
「あの、ええと、あの」
 このまま電話を切られるのと何かを言われるのとどっちが怖いか考えた。
「あ、神くんは」
 やっとそれだけ言えた。それからすぐに後悔した。
『女のとこ。ケータイ忘れてったんだよ』
(女のとこ)
 頭がなかなか理解しようとしなくて、それでも無理やりわからせた。わかったふりをした。
 神くんは好きな人とうまくいったんだ。
(宗太郎さんも、同じ人を好きって)
 それは自分の好きな人が、自分じゃない人のことを好きってことのはずで、なんで、そんなに冷静でいられるの。
 強い宗太郎さん。
 宗太郎さんは怖いけど、それ以上に羨ましい。
「あ、そう、なんだ」
 声を絞り出すのと一緒に涙まで出そうになったけど、強いふりをしたかったから唇を噛んで我慢した。
 頭が痛くて気持ち悪くて寒い。
 点滅する赤い光。
(神様)
 かみさま。

「本当は、いないの」
『何が』

 聞き返されて、自分が声を出していたと知った。
 頭の中、熱くて冷たい。
「最初から、いないってわかってる」
『だから何が』
 わかってたけど、縋るものがないと耐えられなかったから。

「本当は神様なんていないの」

 救ってくれる神様なんて、初めからいない。


 電話を切って、無音。誰もいない。
 子機を机の上に置いてから、涙が流れていることに気づいた。ベッドに横になって布団を頭まで被った。
 泣くのは苦しいけど、泣いてる間は自分が一番かわいそうだって思える。
 自分に自分で同情して、それくらいしか苦しさを紛らわせる方法を知らない。
(だってわたしには誰もいないから)
 自業自得。
 嫌なことから逃げて自分からひとりになった。
 大切なものも壊したのはわたし自身。
 もし、神様が本当にいても、わたしはきっと救われない。
 幸せになる資格もない。

 冷たい水の中に沈んでいく。
 このまま、朝なんて来なければいい。
 目も覚めなければいい。

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