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 色々なことが頭の中を駆け巡っていた。


   08.砂の城 - 03 -


 まだ九時前だったけどお風呂に入ってご飯は食べないで布団にもぐり込んだ。
 宗太郎さんはずるい。
 どんなに性格が悪くても必要としてくれる人がいる。思ってくれる人がいる。
 神くんやつんつん頭、それからきっとお父さんやお母さんも。

 わたしには誰もいないのです。
(神様、あなただけが唯一の)
 ただ一つの。

 一つだけ。わかったことがある。つんつん頭が言ったことの意味。
 宗太郎さんは神くんのことが好きなのかもしれない。多分、双子の弟として以上に。そう考えれば全部辻褄が合う。
 宗太郎さんは神くんに好きな人と幸せになってもらいたいから、わたしみたいなのが神くんの近くにいるのが許せなくて、つんつん頭が宗太郎さんのことを考えろって言ったのも、自分の気持ちを抑えながら神くんに幸せになってもらおうとしている宗太郎さんのことを思ったから。
 きっと、宗太郎さんのほうがわたしよりもずっと苦しい。
 そしてとても強い人。
 わたしは自分のことしか考えられない人間で、自分のことだけで精一杯で、周りなんて見る余裕ない。
(神様)
 わたしにも宗太郎さんのような強さをください。
 いつまでもこのままでいいわけないことは自分が一番よくわかっているから。
 過去と現在と未来を思ったら涙が出てきた。
 おなかと胸に何かがのしかかってるみたいに重くて苦しかった。
 鼻水をすすって暗闇の中の天井を見つめる。涙は溢れるままにした。
 耳の上あたり、髪が濡れて冷たい。
 突然。
 机の上に置いてあった電話の子機が鳴り響いて、心臓が止まるかと思った。
 本当にかけてしまうつもりはなかったけど、教えてもらった番号、神くんに本当に繋がるかちょっとだけ試してみたくてお父さんの部屋から持ってきた子機。ベッドの上で電話をかける真似をして、意味のないことだとわかっていても少しだけ幸せな気持ちになって戻さないで置きっぱなしにしてた。
 馬鹿なことをしなければ知らないふりができたのに。
 嫌だったけど起き上がって薄暗い部屋を机のところまで歩いた。
 少し気持ち悪かったから涙をトレーナーの袖で拭いて鼻もこすって電話に出た。
「もし、もし」
 掠れた声になった。
『もしもし、坂口さん?』
 機械越しに鼓膜に響いた声に本気で電話を切るかと思った。その声だけで心臓が暴れだして頭の中、真っ白になってしまう。
『俺。神、だけど』
 沈黙があって、わたしが何か返さなければいけないみたいだった。
「う……ん……」
 なんて言えばいいかわからなかった。喉のところでひっかかって声も上手く出せなかった。つばを飲み込む。
『今日、渉が坂口さんに何か言ったみたいだったからちょっと気になって』
 渉って、つんつん頭のこと。
 息もうまくできなくて。
 どうして神くん。
 どうして神くんはそんなに優しいの。
 わたしには、神くんに優しくしてもらえるだけの価値はないよ。
「う、ん、別に」
 まだ声は上手く出ない。
 心臓の音が、電話の向こうの神くんにも聞こえてしまいそうで怖い。
 鼻水が垂れてきたから鼻をすすった。
『あのあと坂口さん、ちょっと変な感じだったし』
「そんなこと、ないよ。全然」
 一旦は引っ込んだ涙がまた勝手に出てきた。電話は便利だ。泣いていても声に出さなければ相手にはきっと気づかれない。
「神くんの」
 涙と一緒に言葉まで勝手に口から出てきた。
 声が震えないように、掠れないようにすることに意識がいって、考えが少しもまとまらない。
「神くんの好きな人って、どんな人」
 わけがわからなくなって自分で自分の傷口を広げて抉って塩までぬり込んだ。
 もう、痛みしか感じない。
『え……』
 戸惑った感じの神くんの声に、唐突過ぎたと気がついた。今更引っ込められなくて、どうしよう。
「あ、の、宗太郎さんが、言ってたから」
『宗太郎が?』
「うん、神くんには、好きな人がいるって」
 だから神くんにはもう付きまとうなって、宗太郎さんはきっとそう言いたかったんだ。わたしは付きまとってるつもりはないけど、結果的にはそうなってしまってるのかもしれない。
『どんな人って言われても』
 受話器の向こう側から神くんの困った声。
 本当に馬鹿だわたし。
 踏み込みすぎた。神くんの世界に。
 神くんが優しいから遠い存在のはずの神くんを近くに感じてしまっていた。
「ごめ……ん」
 痰が絡まって声が引っかかって。これ以上話をしたら神くんに泣いているのがわかってしまうかもしれない。

『凄く、強い人。だと俺は思ってる』

 音が一瞬、全部どこかへ行ってしまった気がした。
 神くんは優しいからわたしの質問にもきちんと答えてくれる。
 でも、この質問には答えてほしくなかった。
(息、してる?)
 自分でもわからなくなって。
 途端に今までの混乱が嘘みたいに頭の中だけ凄く冷めていく感じがした。
 好きな人、本当にいたんだ。
 最後の砂の城。音もなく崩れていく。
 宗太郎さんが言っただけかもしれないという、心の奥の微かな願いも、もしかしたら神くんはわたしのことを好きなのかもしれないという、あまりにも愚かで虚しすぎる夢も。
 ここまではっきりと自分の思いが叶わないなんて突きつけられたことはなくて。
 知らないふりをして痛みから逃れることもできない。
『もう一年位前になるけど、初めて会ったときから気になって』
「一目惚れ、なんだ」
『ん、そうかもしれない』
 頭の、どこかの感情に繋がる回路が麻痺した。涙は無意味に流れ続ける。
「付き合ったりとか、してる?」
 もう、どこまでも自分を痛めつけてしまいたかった。
『いや、片思い、です』
 それを喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。どっちにしても、笑って聞き流せるほどわたしは器用じゃない。
(誰)
 神くんに思われている人。わたしではない人。
 自分の中で凄く汚いものがドロドロ渦巻いている。醜い心。
「でも、神くんのことが嫌っていう人なんていないよ。きっと」
 どこから声を出してるのかわからなくなった。自分でも怖いくらい普通の声を出していた。
『その子のこと』
 長い沈黙の後。何かを考えていたような神くんが。
『宗太郎も好きだから、色々とあって』
(うそ)
 嘘。
 真っ先に否定の言葉。だって、宗太郎さんは神くんのことが。
 宗太郎さんは女の子なんて好きにならないと思ってた。
 わがままで自分勝手で無遠慮で、人のこと散々傷つけて。
(それなのにあんな絵を描くから)
 だから宗太郎さんは普通の女の子なんて好きになってはいけなかったのに。
 せめて宗太郎さんにだけは、孤高の存在でいて欲しかったから。

(本当はわかってる)

 気がついたら電話は切れていた。それじゃあって神くんが言った気がする。わたしも多分、うんって返した。
 喉の奥に鉛でも詰め込まれたみたいだった。泣きっ面に蜂だと思った。
 知っていたけど知らないふりをしていた。気づいていたけど気づかないふりをしていた。
 そうすればいつかは消えてしまうと思っていた。
(神様、わたしは)
 宗太郎さんの絵を見たときから本当はわかっていた。
(あの瞬間から、宗太郎さんにも囚われてしまっていたのです)
 認めてはいけなかった思い。
 認めなければこの苦しみも少しは軽くなると思っていた。それももう遅い。
 元は一つの存在だった二人の人。
 わたしには遠すぎて。
 とても高いところにいて、どんなに手を伸ばしても一生届くことのない。
(まるであなたのような)
 どれだけ追い求めても、祈っても縋っても、姿すらわからないあなたのような存在。
(神様)

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