「ねえねえ坂口さん」
四時間目の体育の後。
着替え終わって更衣室から出ようとしたところで、同じクラスの女子数人に囲まれた。
08.砂の城 - 02 -
お化粧してたりして同じ年には見えない、接する機会なんてほとんどないような、わたしとはちょっと住む世界が違うような人たちで。
なんだか嫌な感じ。
「訊きたいことがあるんだけどぉ」
訊かれるようなことは何もないはずなんだけどぉ。
「坂口さんてさあ、神くんと付き合ってるの?」
てかてか光ってる赤い唇が動くのをぼんやり見てたからその人が何を言ったのかすぐにわからなかった。
付き合ってるって。
誰と誰が。
「え」
「神くんと坂口さんてよく話してるみたいだし、この間も一緒に帰ってたじゃん。今日も朝一緒に歩いてるの見たって聞いたし」
さっきとは違う人が言った。
どこで誰が何を見てるかなんてわからない。
「え、あ、朝はたまたま一緒になっただけで、話すって言っても席が近いからでそんなに話すわけじゃなくて。だから全然、そんなんじゃないです」
普通に考えればそんなことあるわけないってすぐわかるのに。
絶対にありえないって前提で訊かれた気がして嫌だった。その通りなんだけど。
教室に戻ったらわたしの席に誰かが座っていて余計に気分が悪くなった。
わたしの学校での唯一の居場所。とられた。
「渉、坂口さん戻ってきた」
入り口のところでどうしようか考えていたら神くんの声が耳に届いて、よく見たらつんつん頭がわたしの席に座って神くんと喋っていた。よく見たら見覚えのある信号色の上履きだった。
つんつん頭がわたしの席からその右隣の席に移動して机に右腕を乗せる。つんつん頭は自分の教室に戻る気はないみたいだった。
神くんとつんつん頭に見られてる気がして、心臓痛いまま席に座って、リュックの中から水色のハンカチで包んだお弁当箱を取り出す。
今日は玉子焼きと野菜炒めを作った。それから冷凍もののコロッケも入れた。
今日の晩ご飯はハンバーグの予定だから明日のお弁当の主役もハンバーグ。
あとポテトサラダも作ろう。ゆで卵とニンジンを入れて作ったら彩りも綺麗になる。
リュックを下ろして、お弁当を広げようとしたけど。
つんつん頭がまだこっちを見てる気がして。
(嫌だ)
凄く嫌だ。
「お前って」
つんつん頭が。
「弁当、いつも一人なわけ?」
わたしの後ろの席は神くんで。
神くんがいるのに。
神くんにもつんつん頭が言ったこと、聞こえてる。絶対。
「一緒に食う奴いねえの?」
つんつん頭は無神経だ。わたしの後ろに神くんがいるのに。
つんつん頭は神くんの友達で宗太郎さんの友達。宗太郎さんと似てる。人を追い詰めてくるところ。
(神様)
気持ち悪くなって、吐きたくなって、逃げたくなった。
お弁当、リュックの中に戻した。立ち上がって、この場所から、早く。
神くんはわたしに同情してくれてるだけ。
自分に言い聞かせないと忘れそうになる。
廊下に出たら今日は誰もいなかった。
「坂口伊織」
窓の外を見てトイレにでも行こうとしたところで、つんつん頭の声に掴まえられる。
振り向いたらつんつん頭が思ったよりも近くにいてびっくりした。足が勝手に後ろに下がる。
「お前さあ、なんなの」
初めてつんつん頭の顔を正面からちゃんと見てしまった。
目が思ってたよりも大きい。
「いい加減にしろよ」
いきなり言われてわけがわからなくて。
細められた目につんつん頭が怒っているのだとやっと気がついた。
感情を抑えた感じの声が余計に怖い。
わたし、何かした?
つんつん頭の信号色の上履きに視線を落とした。
「宗太のことも考えてやれよ」
宗太郎さんのことって。いきなり、何。
「お前って本当に人のこと考えられねえんだな。確かにいつも一人でいるときに孝太に声かけられて、それであいつのことが気になるってのもわかんなくもねえけど」
この人は本当に嫌だと思った。
喉の奥、何かが込み上げてくる。
「なんでわたしが、宗太郎さんのことを考えないといけないんですか」
上手く声が出せなかった。
わたしは何もしてないのに、どうしてつんつん頭にこんなこと言われなきゃいけないの。
「お前それ本気で言ってんの」
つんつん頭の声が少し低くなった気がして、早く逃げないとって思ったら。
「渉」
神くんが教室から出てきて、つんつん頭が神くんのほうに顔を向けたすきにそこから離れた。
見たくなくていつもは目を逸らしていることとか、つんつん頭のせいでいきなり目の前に突きつけられた感じがした。
例えばの話。今わたしが死んでもわたしのために涙を流してくれる人は誰もいないけど、宗太郎さんには死んだら涙を流してくれる人がいる。つんつん頭みたいに、自分のことで怒ってくれる人もいる。そういうこと。
宗太郎さんは怖いけどあの人の描いてくれた絵は好きだった。あの絵の中のわたしのように強く綺麗な人になりたかった。
今のわたしは弱くて醜い。
余計なことを考えたら、逃げ場がどこにもなくなりそうになって、苦しくて痛くて。
体の一番奥が、壊れるかと思った。