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 宗太郎さんにつけられたたくさんの傷が、今になってずくずくと痛み出す。


   07.夢か現か - 04 -


 横に置いてあったリュックを膝の上に乗せて抱き締めた。心臓痛い。
「鍵は」
 宗太郎さんの声がして。
「机の上」
 神くんが答えて、宗太郎さんは鍵を取るとテーブルの右側に座った。
 どうしよう。
「あれ、この部屋ってテレビなかったっけ?」
 そう言いながらつんつん頭がテーブルの左側、宗太郎さんの向かいに腰を下ろした。
「どっかの馬鹿が壊した」
 神くんは宗太郎さんの後ろを通ってわたしの向かいに座る。
 早く、帰らないと。立ち上がろうとしたけど、ずっと正座をしていたせいで足が痺れて無理だった。足を崩して座り直す。
 どうしよう。宗太郎さんに早く出て行けって言われるかもしれない。
「お、これってもしかしてこの間言ってたやつ?」
 つんつん頭が神くんの前にあった空のプリンのカップを持ち上げた。
「まだ残ってんの?」
「あと一つだけ」
「マジ? 持って来て」
「駄目。風呂上りに食う予定だから」
「んだよ、けち。坂口伊織には出してんじゃん」
 わたしには絶対に入り込めない会話の途中で、いきなり名前を出されてびっくりした。
「大体なんで坂口伊織がいるわけ」
「坂口さんは届け物をしてくれたの」
「ふーん。つうか、それより気になるんだけど、宗太と坂口伊織って初対面じゃなかったっけ。反応ないけど」
 しかもフルネーム。何度も言わないで欲しい。
「いや、昨日会ってるから」
 足が痺れてチクチク痛い。早く帰らないといけないのに。ここは、わたしがいていい場所じゃない。
「それで。キミはなんの用」
「部活の帰りで腹減ったから昼飯食わせてもらおうと。その途中でうっかり宗太と鉢合わせ」
 あっそ、と神くんがため息をつきながら言って、不意に会話が途切れて音がなくなった。
 わたし、なんでここにいるんだろう。
 いつもの土曜日は、この時間は何をしてたっけ。
 リビングのソファでゴロゴロしたり、漫画を読んだり、時々宿題をしたり、無駄な時間ばかり過ごしていて。
 抱き締めていたリュックに顔を埋める。
 一体わたしはなんのために。
「坂口さん」
 神くんの声。少しだけ顔を上げる。
「具合、悪い?」
 声を出したら涙まで一緒に出てしまいそうだったから首だけ横に振った。
「昼飯、インスタントだけど野菜たっぷりの特製ラーメン作るから。宗太郎も食ってくだろ」
「ん」
 わたしが何も言えないうちに神くんは宗太郎さんのほうを向いてしまった。
「じゃ、決まりな。少し時間かかるけど待ってて」
 最後の一言はわたしに向けられたもので、それだけのことも嬉しくて。
 神くんがまた部屋から出て行き後ろでふすまが閉まる音。
 これで帰るタイミングを完全に逃した。
「そういや定期見つかったん?」
 つんつん頭が話しかけてきた。ほっといてほしかったけどリュックを抱き締めたまま頷いた。この間のこともあってわたしは気まずいのにつんつん頭は少しも気にしてないみたいだった。あんな些細なこと、一々覚えてないのかもしれない。
 ふすまの向こうから水を流す音が聞こえる。
 現実じゃないみたい。まるで夢を見ているような感じ。
 神くんといるときはいつも、そうだけど。
 突然軽快な電子音が鳴ってびっくりして顔を上げたら、つんつん頭がポケットから携帯電話を取り出して見ていた。それからつんつん頭は携帯電話に向けていた顔をわたしのほうに向けた。
「番号教えてよ」
 何を訊かれたのかわからなくて黙っていたらつんつん頭がもう一度言った。
「ケータイの番号、教えて」
 まさか訊かれるとは思わなかったことを訊かれて。
「わたし、携帯電話、持ってなくて」
 言ったら少し沈黙があって。
「マジ? 携帯電話っつったら高校生の必須アイテムでしょーが」
 持ってないものは持ってない。少しだけつんつん頭に腹が立ったけど、本当はそれ以上に嬉しかった。
(ケータイの番号)
 それを交換し合ったらその人と繋がることができる。わたしにも誰かと繋がる価値がある?
「渉」
 宗太郎さんが、わたるって言って。
「あ?」
 つんつん頭が答えたから、つんつん頭の名前。
「あれ、どうなった」
「……あー、悪い。忘れてた。今度孝太に渡しとくから」
 神くんが渉って呼んでるところは聞いたことがないけど、もしかしたらいつもはそう呼んでるのかもしれない。
 つんつん頭はわたしのことを坂口伊織って呼ぶ。宗太郎さんはあんた、馬鹿女とも言われた。神くんは坂口さん。
 神くんが、そう呼んでくれるのが、凄く好き。同じ音でも、神くんが言うとそれだけで特別になってしまう。
 急に、胸が締め付けられたみたいに苦しくなって。
「あれって、なんですか」
 苦しみを紛らわす方法をもの凄く間違えた。
 いつもなら絶対にできないことを。
「何って」
「あんたには関係ない」
 宗太郎さんの冷たい声がつんつん頭を遮って。
 ごめんなさいって言おうとしたけど。
(声が)
 昨日だって、今日の朝だって、ちゃんと話せたのに。
 本当に麻痺してた。どうしてこんなに怖い人と普通に話せていたのわたしは。
「ごめ、なさい」
 なんとか絞り出した声が宗太郎さんに届いたかわからない。
 足の痺れはいつの間にか取れても、力が入らなくて立ち上がれない。
 宗太郎さんは何も言わないけど、わたしがここにいていい気分のはずないのに。
(神様)
 強くなりたかった。
 弱さは晒したくなかった。
 宗太郎さんはわたしを嫌っている。だったらもう最初から嫌われる心配はしなくてもいい。痛いのだってそのうちきっと慣れる。
(大丈夫)
 まだ、大丈夫だから。
 宗太郎さんのほうを見た。立てた右膝に右腕を乗せていて、左手は少し後ろについていた。手、やっぱり綺麗。昨日着ていた服と少し違う感じだったけど、今日も黒い服だった。
「何」
 視線を上に向けたら宗太郎さんが眼鏡の奥からわたしを睨むみたいに見てて、慌てて腕の中のリュックに視線を戻した。

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