昨日来たばかりの神くんの部屋にまた来ることになるとは思わなかった。
昨日と違うのは正面にあるベッドには誰も座ってないこと。つまり今日は神くんと二人きり。
07.夢か現か - 03 -
夢かもしれない。今までだったら絶対にありえないこの状況。テーブルの下で足を少しだけつねってみたら痛くて。
夢じゃない。
どうしようって思っていたら神くんが生クリームが乗ったプリンと紅茶を持ってきてくれた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう。いただきます」
スプーンを持つ手が震えたのは神くんがわたしの向かいに座ったから。
今は、プリンに集中。そう自分に言い聞かせないと緊張で何もできなくなってしまう。
「おいし」
プリンを口に入れたら思わず声が出た。
「よかった。ここのプリン、お気に入りでさ。昨日急に食べたくなって買ってきて」
神くんって甘いもの、好きだったんだ。ちょっと意外。
黙々とプリンを口に運んでいたらあっという間になくなってしまった。
「ごちそうさまでした」
紅茶を飲んで一息。
目の前に神くんがいる。意識したらまた緊張してきた。
「あの、神くんも髭剃るの?」
「へ?」
正座した膝の上に置いた両手をじっと見ていたら。
あれ?
今、なんだかとんでもないことを訊いたのは、誰。この部屋にはわたしと神くんしかいないはずで。
次の瞬間体中の血が一気に顔に回ってしまった感じがした。
「あ、ご、ごめ、変なこと、訊いて」
「ん、いや、別に」
勝手に動いた口に紅茶を流し込んで、気持ちを落ち着ける。
「……あの、それで、髭……」
やっぱり気になって勢いで言ってもの凄く後悔した。
「……あー、まあ俺も一応十八の男なんでそれなりに」
髭の生えた神くんを想像してしまった。変な感じ。
それから神くんは何かを考えるように唸った。変なこと訊かなければよかった。
「ええと、なんで急に髭?」
「え、や、宗太郎さんが今朝、髭剃りを出せって言ってきて、髭ってもっと大人になってから生えてくるものかと思ってたから、ちょっとびっくりして」
スカートをギュッと握り締めた。自分で何を言ってるかわからなくなってくる。
「え、今朝って、宗太郎が来たのって昨日の夜じゃないの?」
「帰ったと思ってたけど、朝起きたらまだいて」
「……ほとんど一人暮らしって、もしかして家の人、夜もいないの?」
小さく頷いた。昨日ちょっとだけ言ってしまったこと、覚えていてくれたのが嬉しかった。
「坂口さん」
名前を呼ばれてスカートをもっときつく握り締めた。
神くんは何故か大きなため息をついた。
「無用心すぎ」
「そう、かな」
神くんは後ろに下がって足を伸ばした。上半身を支えるように両手を横について、俯く。また大きなため息。
「何も、されなかった?」
神くんが視線だけ上げて言った。真正面から神くんの目とぶつかってしまって反応が遅れた。
「え」
「だから、宗太郎に」
神くんは何故か気まずそうに視線を下に向けた。
「そんな、いくら嫌われてても、殴られたりとかはしてないから」
言葉の暴力なら受けたかもしれないけど。
「いや、そうじゃなくて。ん、でも別に何もなかったんだったらそれでいいんだけどさ」
今、凄く幸せだと唐突に思った。
神くんが目の前にいる。
神くんの声をたくさん聞けた。
私服姿の神くんも見られて。
でも。
(決して手に入らないもの)
初めからわかっていたこと。
神くんには他に好きな人がいる。わたしではない人。
他に好きな人がいなくても、神くんがわたしのことを好きになるとか、そんなことはあるわけなくて。それでも夢くらいは見ていたかったのに、それももう。
「そろそろ、帰らないと」
勇気を振り絞ってなんとか声を出した。一旦考え始めてしまったらどこまでも暗く落ち込んでいきそうだった。
「もうすぐ昼飯の時間だし食べていきなよ。簡単なのでよかったら作るから」
神くん、優しすぎるのは時には残酷なのです。
「ありがとう。でも」
断ろうとしたら、ドアをノックする音がして。
「ごめん、ちょっと待ってて」
神くんは立ち上がって部屋から出て行ってしまった。
ぼそぼそと話し声がする。
嫌な予感がして、こういう予感ほどよく当たる。
「げ、なんで坂口伊織がここにいんの?」
ふすまが開いて、首だけ後ろに向けたらつんつん頭がいて。わたしと同じで制服姿だった。
しかもその後ろにいたのは神くんと、黒縁眼鏡をかけた宗太郎さん。
(神様)