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 昨日いい人かもって思ったのはやっぱり取り消すことにした。つんつん頭、嫌なことを一つ残してくれた。
 借りた百五十円を返しに行かないといけない。つんつん頭に。三年生の教室まで。


   04.すきなひと - 02 -


 落としたと思っていた定期入れはロッカーの中に入っていた。体育のとき、失くさないようにと思って入れてそのままにしていたのをすっかり忘れていた。
 学校に探しに戻ればよかった。そのほうが三年生の教室に行くよりもずっとましだった。
 朝起きて、返しに行かないといけないと気づいた途端、おなかが痛くなってきてつんつん頭を恨んだ。
 百五十円は茶色の封筒に入れてブレザーの右ポケットの中。
 授業中もずっと胸とおなかがギュッと締め付けられてるみたいだった。お弁当も喉が詰まって半分しか食べられなかった。つんつん頭のせい。
 五時間目が始まるまであと三十分。行くなら昼休み中。午後の授業もこのままなんて嫌だから。
(神様)
 ポケットの中の茶色い封筒にそっと触れて立ち上がろうとして、つんつん頭が何組なのか知らないことに気づいた。
 どうしようって思ってから、今日はちゃんと来ていた神くんを思い出した。神くんなら知ってるはず。
 神くんはお昼を食べたらお昼寝タイムなのかいつも寝てる。たまにいないときがある。
 で。
 今日はいない日だった。
 自分の運のなさを恨んでいたらガラッて教室の前の戸が開いて神くんが。
「神くん」
 わたしの斜め前まで神くんが来たから慌てて呼び止めた。他のときだったらタイミングを逃してたかもしれないけど、今はそれどころじゃなかったから。人間追い詰められると結構凄いこともできそう。
 神くんはざわついた教室で聞き取りにくかったはずのわたしの声にちゃんと気がついて、足を止めてくれた。
 ボタンが外れている制服から覗く神くんの白いワイシャツを見た。神くんはネクタイをしていない。してるところも見てみたいと思った。関係ないけど。
「あの、聞きたいことがあって」
 つんつん頭のクラス、訊こうとしたけど。
 あれ。
 つんつん頭の名前、なんだっけ? 神くんが言ってたのに。
「何?」
 神くんが訊くから。
「あの、友達」
 焦ってうまく言葉が出てこない。
「神くんの、友達、球技大会のときの」
「球技大会のときって……ああ、岩崎?」
 岩崎だ。思い出した。
「そう、その人。何組か、教えて欲しいんだけど」
「三年五組のはずだけど、なんで?」
「え、あ、ちょっと。あ、ありがとう」
 三年五組。北校舎まで行かないといけないんだ。心臓、ずっとドキドキしてる。神くんと話したせいで余計にそうなった。
(神様)
 一瞬。考えてしまった。
(神くん)
 神くんに頼ること。つんつん頭と友達だから、頼んでみたら、きっと。
 でも駄目だとわかっていた。
 一度頼ってしまったらわたしはもう戻れなくなる。


 つんつん頭が教室にいなかったらどうしようって思ってたけど、ちゃんと教室にいた。
 でもどうしように変わりはなかった。
 教室の窓際の後ろのほうの席にいたつんつん頭は、茶髪軍団に囲まれていた。どうしようって思っていたら、茶髪軍団の一人が立ち上がって後ろの戸から出てきてわたしのほうに来た。
 チャンスです。
「あのっ」
 思い切って声をかける。声が上ずった。
「あ?」
 ちょっとじゃなくてかなり怖い。
「つんつんあた、あ、じゃなくて、岩崎、先輩、呼んでもらえますか」
 先輩って、実際に使ったのは初めてかもしれない。
「岩崎?」
 聞き返されたから頷いた。その三年生が前の入り口からつんつん頭を呼んでくれた。
「岩崎ー、お前に客ー」
 三年生が行って少ししてつんつん頭が教室から出てきた。今日もやっぱり上履きは信号色だった。
「うお、坂口伊織。何、客って坂口伊織なわけ?」
 わたしじゃいけないですか。
 ブレザーのポケットから二つに折った縦長の茶色の封筒を取り出した。
「昨日は、ありがとうございました。これ、百五十円、です」
「……あー、いいよ別に。わざわざ返しに来なくても。今金に困ってるわけでもないし。つうかまさか返しに来るとは思わんかった」
「え、でも」
「だからいいっつってんじゃん」
 全然よくない。このせいでわたしは半日苦しんだんだ。
「借りたのは、返さないといけないから」
「貸した本人がいいって言ってんだからさあ」
「でも」
「大体俺は貸したんじゃなくてあげたつもりだったし」
「でも」
 少し意地になっていた。つんつん頭がさっさとお金を受け取ってくれればわたしは厄介ごとから解放されるのに。
「ああもう、しつこい」
 つんつん頭が、本当に嫌そうに、言ったから。
(だって)
 鼻の奥がつんとした。
 わたしはお金を返しに来ただけで。
(神様)
 絶対にここで泣いてはいけなかった。
 こんなことで泣いてしまうような弱い人間だなんて誰にも知られたくなかった。
 だから下唇を噛んで、赤と青と黄色のつんつん頭の上履きを見て涙が出ないように堪えた。
 半分に折った茶色い封筒、つんつん頭に投げつけた。つんつん頭の左肩にベチャッて当たって足元に落ちたのを見て、走って逃げた。つんつん頭が何かを言ってたのは聞こえなかったことにした。
(つんつん頭の馬鹿)
 北校舎の階段、ゆっくり上って。一段ずつ確実に。
(つんつん頭のくせに)
 心の中でいっぱい悪口を言ったら少しすっきりして、同じくらい惨めになった。
 二階の渡り廊下を通って、南校舎に到着。
 職員室、左を見たらすぐつきあたりにあって、溝口先生の顔を思い出した。いつか、先生に聞いてほしいことがたくさんある。先生の話もたくさん聞きたい。時々、授業の合間にぽつりと先生が話すのが、好き。この間は自転車の話だった。今日は苦手な数学の授業があるけど、その後は国語の授業だから嬉しい。楽しみが一つ。
 視線を少し下に向けてそのまま左から右に移して、体の向きも変える。下に向けた視線を上げて歩き出そうとした瞬間、捉えてしまった。
 数十メートル先、二年三組の教室の前に神くんの姿。
 神くんは窓の桟に両手をかけて寄りかかって立っていた。
 顔が熱くなっていくのが自分でもわかって、とりあえず一歩進んで。
(神様)
 少しだけ俯いてる感じだった神くんの顔が、不意にこっちに向けられて。

 どうしてこっちに来るの神くん。

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