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 神くんがいたのに気づかなかったわたしもわたしだけど。


   03.赤信号 - 03 -


「あ、悪い。タオル取りに来たんだけど」
 慌てて横にどいた。神くんはしゃがみこんで、ロッカーから大きなロゴの入った白いスポーツタオルを取り出して、立ち上がった。
「試合」
「ん?」
 神くんがタオルで口元を押さえながらわたしのほうを見るから、汗でちょっとだけ湿った感じの神くんのTシャツを見た。
「勝ったね」
 うあ、神くんに話しかけちゃった。
「すっげえ疲れたけど。こんな体動かしたの久しぶり」
 神くんはちゃんと答えてくれる。それが泣きたくなるくらい嬉しい。
「二回戦は」
 調子に乗っちゃうよ。そんなに優しいと。
「午後、今度は校庭。もうすぐ昼休みだよな」
「うん」
 泣きたいけど泣かない。
「でも、その前に行くとこある」
 神くんがまた話しかけてくれたから、嬉しくてちょっと遅れて意味を理解した。
「俺、保健委員なの」
 知ってる。
 少し前のロングホームルームのときに決めた。わたしは何故だか新聞委員になっていた。名前だけで実は何も仕事がないって噂は本当なのかな。本当だといい。
「で、坂口さんも一緒においで」
 わたしも一緒に。
 唐突過ぎて、一瞬、意味がわからなくて。
「え」
 間抜けな声、勝手に飛び出た。
「保健室」
「え、なんで」
 神くんが右の人差し指で自分の頬を指した。
「ここ、痛くない?」
 さっきボールがぶつかったところ。まだじんじんして熱いけど。
「あ、平気、だから」
「平気って、鏡見た? 赤くなってる。冷やしたほうがいい」
 右手で頬を覆った。顔だから隠しようがなかった。
「や、でも本当に大丈夫だから、うん」
 神くんが、わたしを見てる。
 いつか神くんに殺されるんじゃないかって本気で思う。見えない手でゆっくり、首を絞められている感じ。
「大丈夫じゃない。保健室行こう。委員命令」
 これ以上、首を絞めないで。苦しくてわたしは死んでしまう。
 仕方ないから頷いた。
 保健室の先生は四十代くらいで、髪を後ろで一つにまとめていて、お母さんって感じの先生。保健室の先生ってみんな優しい感じで好き。
「あらあら大丈夫?」
 黒い長椅子に座って、渡された氷のうを右頬に当てた。気持ちいい。
「神くん、彼女のクラスと番号と名前、あと症状を書いておいてくれる?」
「ういっす」
 人が結構いると思ったけど、もうすぐ昼休みのせいか神くんとわたしだけだった。先生も今年はいつもより怪我人も病人も少ないって神くんに言った。そのとき。
「先生―、転んだー」
 ガラって戸が開いて、男の子が一人入ってきた。
「あらあら大変。神くん、ちょっと手伝って」
 わたしから少し離れたところで、キャスター付の椅子に座って、何かのプリントみたいなのを見ていた神くんが立ち上がった。
 わたしは膝に置いた左手を見て、それから目を閉じた。
 ガチャガチャって金属とかいろいろとぶつかり合う音がする。
 変な感じがした。
 めったに来ない保健室にいるせいか、それとも神くんといっぱいでもないけど結構話したせいか。
「どうしたの?」
 保健室の先生の声が耳に飛び込んできて、目を開けて顔を上げた。傷の手当てに来た男の子はもう行ってしまったみたいだ。
「具合悪いの? ベッドなら空いてるから休んでく?」
 大丈夫です。そう答えようとしたけどやめた。
「先生」
 もう、限界だと思った。
(限界)
 本当は違うのかもしれないけど。
 でも今、逃げ道が用意されたから。
「早退してもいいですか。わたしもう試合ないし、だから」
「だったら、やっぱり少し休んでいってからのほうがいいんじゃないかしら。それで少し楽になってから」
「あの、今はまだなんとか大丈夫だから、これ以上酷くならないうちに帰りたいんです」
 焦って早口になる。
 心臓を。
 掴まれてる。
「そうねえ。じゃあ、担任の先生に言ってから帰れる?」
「あ、はい」
「本当に大丈夫?」
「はい」
(神様、ごめんなさい)
 わたしは嘘をつきました。
 自分から逃げるために、嘘を。
「今お昼で教室は人がいるだろうから、着替えるなら保健室で着替えちゃいなさい」
「はい」
 嘘を気づかれないうちに、慌てて立ち上がって、氷のうを先生に返して、保健室を出ようとしたら。
「坂口さん」
 戸に手を掛けたところで、神くんが、わたしを呼び止めた。戸に掛けた手を見たまま動けなくなった。
 まるで、わたしの心、見透かされてしまったみたいで。
「先生には俺が言っておくけど?」
「あ、う、うん、あ、ありがとう」
 声が震えてしまったから、きっと神くん、変に思った。
(神様)
 何度あなたを呼んでもわたしは強くなれません。

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