(嘘)
うそ。
02. ナイフと視線 - 02 -
自分の席に座っちゃいけないわけじゃないけど、でも、わたしのすぐ後ろの席だから。
無理だ。
両手が机の上の黒いリュックを強く掴む。
だから駄目だってば。来ちゃ駄目だよ。
本当に無理だから。
(神様、あなたはどこまで意地悪なんですか)
ギュッて目を瞑ってリュックを掴んでた手に力入れた。
ガタッて椅子を引く音と、ドサッて椅子に座る音がした。真後ろで。二人きりの教室。
体中が強張った感じ。つま先まで上履きの中で丸めた。
「なんでこんな早いの」
心臓が一瞬で三分の一くらいに縮まって、一瞬で三倍くらいに膨れ上がった気がした。
神くんの声が好きなんです。
神くんの手が好きなんです。
神くんの目が好きなんです。
だから近づきたくないんです。
神様だった人。
「坂口さん」
名前を、呼ぶなんて卑怯。
種は最初に蒔かれていた。
神くんの名前を目にしたときに、すでに。
目を開けたら黒いリュックを掴んだ自分の手が飛び込んできた。
芽を出してはいけないの。
もぎ取られるとわかっている花なら、初めから咲かさなければいい。それだけ。
だから。
(だから神様)
「神くんも、早い」
自分の両手、見たまま言った。
小さな声しか出なかったけど、二人だけの教室で、神くんはすぐ後ろにいるから、多分聞こえた。喉のところで少し引っ掛かったけど、多分大丈夫。
「ん、時計が狂ってて、遅刻かと思って慌てて来たら誰もいなくてびびった」
長い文章も言えるんだ。いっぱい声、聞いちゃった。
神くんの、低めの、気持ちよく響く声が好き。
「で、坂口さんは?」
わたしのことなんて、どうでもいいでしょ。
神くんよりも早く来たかったから、なんて言えません。
それよりも。
「名前。わたしの。なんで」
うまく言葉を繋げられなかった。
酸素欠乏中。きっと頭までちゃんと酸素が回ってない。だから馬鹿なこと訊いた。名前なんてクラス割りのプリントとか見ればすぐわかることなのに。
「昨日はわかんなかったけど、前から知ってたから。顔と名前は」
あれ。
なんだか予想していない答えが返ってきて、酸素がもっと足りなくなってくる気がした。
昨日の雰囲気から勝手に無口な人だと思っていた神くんは、案外そうでもないのかもしれない。
(前から知ってた)
なんで?
わたしは昨日まで神くんのことは知らなかったのに。どうして。
「坂口伊織って今の三年の、あ、俺留年して」
はい、知ってます。それは。
「その一部でちょっと有名人だったから」