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 足音が近づいてきた。


   01. A Happy Day - 02 -


 落ち着いてきたと思った心臓がまた暴れ出しそうになった。教室の雰囲気がザワザワしてる。
 すぐ後ろで机に鞄を置く音がした。ピカピカの机をじっと見る。
「神孝太郎」
 想像してたよりも低い声だった。体の奥に、響く声だった。低いけど掠れてるわけじゃなくてよく通る声。
 神様の声もこんな感じ?
 次になんて言うか待ってたけど、椅子を引く音がして腰を下ろす気配がした。
 ええ、それだけなんだ。よろしくもないんだ。
 怖い人ってやっぱり不良というやつですか?
 いつの間にか全員の自己紹介が終わっていた。
 先生が明日の予定(課題テストとクラス写真の撮影)を簡単に説明して解散になった。
 周りの人はどんどん帰る支度をして教室を出て行く。残ってお喋りをしている人もいる。
 わたしはまだピカピカの机を見たまま動かなかった。動けなかった。後ろの席の神くんがまだそこにいたから。
 神くんが出て行くまで机の下でスカートをギュッと握って机を見てたら、大丈夫だと思った。立った拍子に、教室から出るときに、神くんが視界に入ってしまうのが怖かった。
 神様じゃないってわかってるのに神様かもしれないってまだ思っている自分が嫌だった。
(神様)
 目を閉じる。
 カリカリカリ。神くんは何かを書いてるみたい。まだ終わらないのかな。
 目を開ける。
 黒板の真ん中の上のほうに掛かっている時計を見上げた。おなかが空くと思ったらもうすぐ十二時だった。
 カリカリという音は時々止まったりするけどなかなか終わる気配がしない。
 失敗した。目を瞑ってでもさっさと教室を出ればよかった。
 話し声に紛れて聞こえたカリカリは、いつの間にかそれだけで聞こえてきていた。
 廊下にも教室にももう人の気配はなかった。失敗した。
 もう動くに動けない雰囲気。凄く集中している感じが伝わってくるから、その空気を壊せない。
 神孝太郎くん、あなたは一体何をしているんですか。知りたいけど知りたくない。知るには後ろを振り向かなければいけない。そしたら神くんを見ちゃうかもしれない。だってあなたはまだ神様なんだもん。もう少しだけ夢を見させてよ。なんて淡い夢。
 つんつんって。誰かがわたしの左の肩甲骨の辺りを突付いた。
 誰かが。
 神くんしかいないわけで。
 で。
 どうしよう。
 振り向くべき? やっぱり。
 再びつんつんつん。シャーペンの背で突付いているみたい。
 机の下でスカート、もっとギュッと握り締める。ピカピカの机、じっと睨む。
「消しゴム」
 うあ。
 心の中で変な声をあげてしまった。
 声が、耳の奥、体の真ん中にスッと入って響いて溶けるの。神くんの声。低い声、凄く心地好くわたしの中に響く。
 消しゴム。
 貸せってこと?
 机の右横に黒いリュックがかけてある。筆箱はその中。
 カリカリが止まったままで。
 消しゴムを待っているんですね。
 無言の圧力。音がないのって痛い。本当に。
 広い教室に無音の音がこだまする。
 机の下で、ギュッとスカートを握っていた手、ゆっくり開いた。
 机の右横にぶら下がっている、今日は軽めの黒いリュックを持ち上げて、机の上に乗せる。
 三年目のベージュ色のペンケース。ちょっと黒ずんでるけどお気に入り。
 おろしたての真っ白な消しゴムを出した。
 新しい学年の始まりだから、黒くて丸くて小さくなった消しゴムとはお別れした。消しゴムだけは新しくした。そうしてよかった。黒くて丸くて小さくなった消しゴムは、人には貸せない。消すどころか余計に汚れてしまうから。
 消しゴムを出したけど、どうやって渡そう。
 考えていたら視界の右端に突然手が現れた。神くんが右手を伸ばしていた。
 手のひら、大きくて、指も長くて、ちょっと骨張ってる。綺麗な手。
 わたしのぜんぜん知らない手だったから、少しびっくりした。
 神様かもしれない人の手。
(神様の手)
 その手のひらに消しゴムをコロンと落とした。
 神くんの手が消しゴムを包んで後ろに引っ込む。わたしの消しゴムを使っている気配がする。
 また右手が伸びてきた。手のひらの中、角が一箇所黒くて丸くなった消しゴムがあった。
 指先が神くんの手に触れてしまわないように気をつけて、消しゴムを持ち上げた。
 右手が引っ込んで。
「ありがと」
 神くんの声。心臓に届いてしまったから。
 お礼、言われちゃった。
 嬉しい。
(嬉しい)
 カリカリカリ。
 シャーペンを置く音がした。
 終わったんだ。
 多分鞄に筆箱をしまう音がして、神くんが立ち上がる気配がした。
 わたしは正面の黒板を見つめていた。両手は何かを握ってないと落ち着かなくてリュックを掴んでいた。
 クシャッて、紙の音がして、足音が遠ざかっていった。
 神くんは後ろの戸から出て行って、わたしは一人黒板を見つめたまま座っていた。
 わたしの焦げ茶色の机はピカピカ綺麗で。
 担任の先生、いい感じで。
 神様じゃなかったけど神様な男の子に消しゴム貸してありがとって言われた。
 今日はちょっと幸せな日。

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