あのとき確かに裏切られたはずのわたしは、それでもまだ信じて縋っていた。
神様というあまりにも不確かな存在を。
01. A Happy Day - 01 -
せっかく慣れた環境が変わってしまうから、春は好きじゃない。変わってほしいことがないわけじゃないけど。
校門をくぐったら昇降口の前でプリントを一枚渡された。
小さな名前がいっぱい書いてある。新しいクラス割りのプリント。
二年と三年の間にクラス替えはないから、今年のクラスはちょっと重要。
ここでうまくいかなかったらせっかくの高校生活も台無しだ。一年のときはなかなか最低なクラスだった。
わたしの名前、どこだろう。指で辿りながら一組、二組、三組、あった。
三組の十四番、坂口伊織。
自分の名前は好き。いおりっていう響きが好き。
あ。
(神様)
心臓が小さく跳ねた。神様がいた。わたしの名前のすぐ下。
神孝太郎。
読み方違う。
じんこうたろうだ。じん。神様じゃなかった。そんなことはわかっているけど。
落ち込む必要ないのに落ち込んだ。
新しいクラスの靴箱の靴を入れる。
新しい教室は南校舎の二階にある。去年は北校舎の三階だった。南校舎は教室の窓がグランドに面しているから、窓が開いていたら風が強い日は机とか砂でザラザラになるかもしれない。
ドキドキって自分の心臓の音が耳の奥で響く。
教室の後ろの入り口から入る。教室には知らない人が十人くらいいた。数人でかたまっている人が多い。
同じ造りのはずなのに、クラスが違うだけでどうして教室はこんなに風景が違って見えるんだろう。
黒板見たら座る場所が書いてあった。出席番号順。
わたしの席は廊下側から三列目の一番前。教卓の斜め前だった。
一番前の席は黒板は見やすいけど、自分の頭で後ろの人が見えないかもって猫背になるから好きじゃない。
一番後ろの席よりは好きだけど。
新しい席に座る。暗い茶色の机。ピカピカしてていい感じ。ちょっと得した気分。
廊下側から三列目の席はわたししか座っていない。後ろの人は誰もいなかった。
少し落ち着いてきた。そうしたら左斜め後ろのほうから話し声が聞こえてきた。女の子の声が神って言った。
「あたし、この神孝太郎って知ってる」
「えーなんでー?」
「去年お兄ちゃんと同じクラスだったんだよ。なんか出席日数が足りなくなって留年したってお兄ちゃんが言ってた。怖い人らしいよ」
「そうなんだ」
「それでね、お兄ちゃんのクラス写真見たことあるんだけどすっごいかっこいいの!」
神様じゃなかった神くんは年上で怖い人でかっこいいらしい。どうでもいいけど。
始業式が終わったらロングホームルームがあってまだ帰れなかった。真後ろの席は空いたままだった。
「え〜それじゃあまず自己紹介を」
新しい担任の先生。おじいちゃんみたいな先生。
眼鏡をかけてて、頭が白くて薄くて、ワイシャツがちょっとクシャッとなってた。
ニコニコしててきっと元からそんな顔なんだろうけど、なんだか幸せな感じがする。国語の先生。溝口先生。
あ、名前似てる。溝口と坂口。のんびりした話し方も好きだなって思った。
わたしのところに回ってくる前に自己紹介で何を言うか考える。趣味とか特技とか。
喉の奥が詰まった感じがして嫌だった。心臓壊れたらどうしよう。どうしよう。
手のひらに汗かいてる。
わたしの番が来た。
椅子、倒さないように気をつけて立ち上がって、一番前だから後ろを向いた。
頭真っ白。坂口伊織ですよろしくお願いしますしか言えなかった。
前を向いて座ったのと同時に後ろの戸を開く音が響いた。
座席表を見て次の人の名前を言おうとしていた先生が、ゆっくり顔を上げて少しずり落ちた眼鏡を直した。
「神くんか。ちょうど君の番だ。自己紹介をして下さい」