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 うつせみ 05

 妹は七月最初の日に死にました。
 お母さんは七月最後の日に死にました。
 七月最後の日はわたしの誕生日でした。
 それだけの話。

「それだけ」
 目を開けた。握り拳は開かなかった。顔を上げた。
「それだけ、だけど、やっぱりその日は一人でいたいから」
 神くんと宗太郎さんは見えるけど見ない。正面のベッドを見つめた。
「この間、電話出ないとか言ってたのは」
「うん、あの日は、妹の、命日、で、ごめん。最初から、ちゃんと言っておけばよかった」
 中途半端に隠すのはなんの意味もなかった。
「それって、いつの話」
 宗太郎さんが宗太郎さんで、安心した。ずかずか踏み込まれるのは怖いけど今はそれでよかった。
「中三の、ときだから、えと、二年前」
 まだ二年。もう二年。
「いつも、考えないようにしてるから、その日だけはって、だから」
「ん、わかった」
 神くんの右手が伸びてきてわたしの髪に触れた。暴れ続ける心臓はもっと大きく跳ねた。
「坂口さんは、やっぱり強いね」
「そんなこと」
「そういうの抱えたまま誰にも寄りかからずにいるのは、大の男だってつらいよ」
「だって、誰もいなかったから。誰か傍にいたら、わたし」
「だから、今は俺たちがいる」
 神くんのやさしい手が時々耳に触れて、ずっとずっと欲しかった言葉をくれる。寄りかかっていいよって、その手がわたしに囁く。ここで二人に寄りかかるのは簡単で、でもそれ以上に怖くて凄く難しい。
 それにこれは、わたしだけで抱えてないといけない。そんなことくらいしかわたしにはできない。
「ありがとう」
 出てきたのは一言。神くんはそれで察してくれた。手が離れていった。
 今は神くんと宗太郎さんがいる。今だけ。
「三十一日が駄目なら八月一日は」
 宗太郎さんの声が少し遠くで聞こえた。断る理由を探す必要はもうないから頷いた。
「……うん」
 ありがとう。
 その日を想像する。
 今日みたいに、凄く幸せな思い出になるんだろうなって思った。

 ひとりのときは誰かと別れる瞬間も、何もなかったから知らなかった。誰かと一緒にいても苦しいことはたくさんあるんだって。
「それじゃあ、また明日」
「夜、電話する」
 玄関のところで神くんと宗太郎さんに頷いて答えて手を振った。
「バイバイ」
 早く。足を。視界から二人とも消える。歩いて、石段を三つ降りて走った。雨。降ってなくてよかった。
 途中で苦しくなって足も動かなくなって走るのはやめた。持久走はいつもびりだった。
 汗を手の甲で拭った。夕飯はお弁当を買って帰ろう。帰ったらすぐに着替えてお風呂に入ろう。
 それから今日のこと、日記に書いて。今日のこと。
 神くんと宗太郎さん。二人に会ってから日記に書くことがたくさんある。
 毎日が嘘みたいに幸せで、でも神くんも宗太郎さんもずっとわたしの傍にいてくれるわけじゃない。
 どうしよう。
 ひとりはもう嫌。
 嫌だけどそのときは必ず来てしまう。

 十時。宗太郎さんからの電話はちゃんと出た。
「もしもし」
『怖い』
 いきなりだった。宗太郎さんの声をもう一度頭の中で繰り返す。
「……何、が」
『あんたが』
 わたしが。
「なんで……?」
 わたし、何かした? 怖いって、どういう意味。
『なんか、気持ち悪い』
 気持ち悪い。
『のはあんたがってことじゃないから泣くな』
 ショックを受ける前に言われたから涙は出なかった。
「何が、気持ち悪い、の?」
『腹ん中が見えない。孝太郎のはわかるけど、あんたのは全然見えなくて気持ち悪くて怖い』
 宗太郎さんの言っていること、よくわからなくて考える。
 わたしの腹の中。
「何もないよ」
『ないわけねえだろ』
 怒られた。でも、わたしのこと心配してくれているんだってなんとなくわかったから嬉しかった。
 今日は、いつもよりいっぱい話せている気がする。
『夏休み、一日しか会わないの無理。家に誰もいないなら泊まりにいく。無理やりでもそうする。嫌なら孝太郎のとこに来い』
 違った。宗太郎さんの言葉がいつもより多いんだ。一気に言われたことをゆっくり飲み込んでいく。親戚の家に行くって嘘はなかったことになっていた。
 心配。してくれている。
 幸せすぎて怖くてふわふわして、変な感じ。
 わたしにはわたしのことがよく見えない。でも神くんと宗太郎さんには見える。そういうこと。
「ありがとう。でも、夏休みはひとりじゃないといけなくて」
『なんで』
 嘘も隠し事も、ちゃんとできないなら意味がないから本当のことを言っていい。
「いつも見ないふりしてるから、電話も、出ちゃいけないのに出ちゃったから、一日だけじゃ足りなくて、他に何もできないから、だからせめて夏休みの間はひとりでいようって」
 うまく説明できなかった。
『そうするのが楽なの』
 でも宗太郎さんには伝わった。
「うん」
 罪には罰が必要です。
 罰を受けて、楽になりたいのです。
『でもそれ、俺には関係ない』
「うん」
『だから、あんたが来ないならこっちから行く。電話もする』
「……うん」
 宗太郎さんはやさしい。
 わたしが本気で嫌がっても宗太郎さんは来る。わたしの気持ちは無視される。神くんも同じ。わたしが神くんと宗太郎さんの気持ちを無視してしまうみたいな自分勝手で無神経なものじゃなくて、神くんと宗太郎さんはきっとたくさん考えた結果そうする。わたしのこと、考えてそうしてくれる。
「ありがとう」
 おやすみ。
 宗太郎さんがそう言ったから今日の電話は終わり。

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