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Call my name.03
声が、した。声。誰の。宗太郎さんの声じゃない。宗太郎さんは今話せない。だって、今。
(いま)
意識したら心臓が破裂しそうになった。
「宗太郎」
声、もう一度。神くんの声だ。熱いものが離れていく。目の前、明るくなる。息。しないと。死んでしまう。
「ふ、あ」
酸素。吐き出して、一気に吸い込んだ。
「もっと早く来ると思ってた」
「来なかったらどうしてたんだよ」
「来ただろ。それに、孝太郎がいないのに最後までいくつもり、なかったし」
二人の声が遠くに聞こえた。涙がぼろぼろ零れた。なんで泣いてるのわたし。
口の中、気持ち悪い。右手、動かす。かちこちに固まったみたいになってたけどちゃんと動いた。パジャマの袖で口を拭いた。まだ、残ってる。変な感触。手首も、まだ掴まれてる感じ。痛い。
「坂口さん」
痛い。心臓。声、聞きたくなかったから左手も持ち上げて耳をふさいだ。ベッドが軋んで天井の代わりに神くんの顔。いつもと違った。笑ってなかった。怒った顔でもなかった。だからとても怖かった。今わたしを見ている神くんが。
無表情。
何の感情も浮かべていなかった。目も閉じて逃げたかったけどできなかった。神くんに見られていたから。
「だから、宗太郎が家に来たら俺に連絡してって言ったのに」
耳、ふさいでても意味なかった。よく通る声がはっきり届く。
「ご、め」
「でもこれで、俺たちにとって坂口さんがそういう対象だって、ちゃんとわかってくれた?」
そういう対象。
「やだ」
何か、考えるよりも先に。
「そういうの、やだ」
好きな人と。いつか。キスしたり抱き合ったり。憧れていた。
「いやです」
ありえないと思ったから憧れていた。
耳をふさいでいた手を掴まれた。そのままさっきと同じ格好で押さえ付けられた。
「やめて」
見ないで。触らないで。
「宗太郎はよくて俺は駄目なんだ?」
耳元。熱い息。いつもと違う声。
「や」
「なんちゃって」
神くんがなんて言ったのかすぐにわからなかった。無表情のままだった。
「びっくりした? 宗太郎はあとで一発殴っとくから」
わたしの手を押さえていた神くんの手が今度は肩に回されて起こされた。頭、くらくらした。
「ごめん。もう、大丈夫だから。何もしないから」
神くんの右手はわたしの背中に。よくわからないまま神くんを見たら、そこでやっと困ったような笑顔を浮かべた。わたしの知ってる神くんだった。
「あの、手」
どけてって、最後まで言えなかったけど神くんは手をどけてくれた。
両手、膝の上で握り締めて、深呼吸、何度かして、顔を上げた。宗太郎さんは何もなかったみたいな顔して立っていた。神くんはいつもの笑顔でわたしを見ていた。
頭の中、いっぱいで何から考えていいのかわからなかった。ただ、二人がわたしを見ていて。わたしを。髪、ぼさぼさで。顔も洗ってなくて。パジャマのままで。宗太郎さんには前も見られたけど、今は神くんもいる。
慌てて枕を引き寄せて抱えた。
「ごめん」
「なんで、坂口さんが謝るの」
これも夢かもしれない。夢だったらいいのに。そうしたら嫌われる心配もしなくていい。
「ずっと、いつ言おうか迷ってたんだけど」
神くんが唐突に。
「これが初めてじゃないんだよ。宗太郎がこういうことしたの」
こういうこと。さっきの。口に、熱いもの。入ってきて、あれは。
血が、また一気に上った気がした。宗太郎さんが、わたしの知らない誰かとあんなこと。宗太郎さんが誰かと付き合ったことがあっても不思議じゃないけど、そんなこと聞きたくない。
「最初は、前に宗太郎が坂口さんちに泊まったときで」
坂口さんち。って、わたしのうち。
「え、何の、話」
「いや、だから」
「だからあんたが寝てるときにした」
神くんの言葉を遮るように宗太郎さんが言った。
「何、を?」
「だから、キスを」
わたしは思わず神くんの顔を見つめた。
「それと、俺も坂口さんが保健室で寝てるときに、しました」
何をって、聞き返そうとしたけど声が出なかった。どうしよう、何か、変だ。こんな現実、おかしい。
「それ自体を謝るつもりはないけど、坂口さんが知らないうちにしたのはやっぱりよくなかったかなと、思って」
神くんが何を言ってるのかよくわからなかった。
「怒った?」
よくわからなかったけど首を横に振った。神くんは嬉しそうに笑ってよかったって言った。
よくわからないけど神くんが笑ってくれるのは嬉しい。嬉しいから、わたしも笑った。神くんみたいに綺麗にできないから多分変な顔になった。だから、神くんまで変な顔をしたんだと思った。
「……ごめん、さっきのやっぱなし」
神くんの右手がわたしの髪を撫でた。神くんの左手がわたしの右耳に触れた。神くんの目にわたしが映ってるのがわかった。
神くんがゆっくり笑んで、見惚れた。
「許して」
噛み付かれた。と思った。
反射的に目を閉じて、抱えていた枕を落とした。代わりにわたしの両手は神くんの体に触れた。でも怖くなってすぐに離した。
頭の中に、違うわたしがもう一人いて遠くから見てるみたいだった。
口の中をわたしのではないものが動いていた。頭、がっちり押さえられて動かない。行き場のなくなった両手を握り締めた。どうしていいのかわからなかった。つばを飲み込んだ。わたしの口を塞いだものは離れていかない。
この熱さは、知ってる。さっき知った。宗太郎さんの熱。緩慢な動きで刻み付けられた。でもこれは宗太郎さんじゃない。もっと性急で、乱暴な。
(神くん)
わたしを見て、綺麗に笑んでいた人。
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