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着信画面に表示されたのは、いっそ「バカ」と登録しようとしたけれど、ばれたときが怖くてやめたその名前。
立花浩行。
04.嫌い、きらい、キライ
遠のきかけた意識を何とか留めて、教室の後ろの窓の近くに移動する。
出たくないけど、出ないと後が怖い。
震える手で何とか通話ボタンを押した。
「も、もしもし」
『さっさと出ろ、このボケ』
「ごめん、なさい」
反射的に謝ってしまう自分が情けない。
『今日は知り合いを泊めるから帰ってくるなよ』
「え……?」
『てめえは日本語もわかんねえのか、バカネ」
日本語じゃなくてあなたの言ってることがわからないんですけど。
「帰ってくんなって、あたしはどうするの?」
『自分の両親のところに戻りゃあいいだろ、バカ』
……この人は語尾に何かをつけなきゃ気がすまないんだろうか。
一方的に電話を切られてあたしは特大のため息をついた。
席に戻って机に突っ伏す。お弁当を食べる気も失せた。
「茜、また何かあった? あたしでよければ話だけでも聞くよ?」
「莉緒……」
優しい莉緒の言葉が身に沁みる。
「ありがとう。でも大したことじゃないから」
あんな最低人間があたしのお兄ちゃんなんて、莉緒には知られたくない。
クソ兄貴に一時的に家を追い出されてしまったあたしは、学校からそのまま数日前まで住んでいた社宅に戻り、愕然とした。そこはすでにもぬけのから。
今日は買い物も食事の支度も掃除もしなくていいんだと、前向きに考えようとしたときに、どうして。ホワイ。
「もしもし、容子さん?」
すぐに容子さんの携帯に電話をかける。
『あら茜、どうしたの?』
最近のん気な容子さんの声に無性に腹が立つ。
「今どこ? 引越しは今度の休みにするんでしょ」
『ダーリンの仕事の都合で引越しが早くなったの。茜こそ今どこにいるの? 社宅だったらもう部屋には入れないからね』
「な、何でそういう大事なことを言わないで」
『浩行に言っておいたけど』
あ、あんのクソ兄貴〜!
『それよりも浩行のところはどう? あそこ結構いいマンションでしょ。茜が羨ましいわ』
「だったら今すぐ代わって」
『はいはい。それで何の用?』
「……もういい。じゃあね」
電話を切ってあたしは再び特大のため息をついた。
これじゃあクソ兄貴のところに戻るしかない。
一体あたしが何をしたって言うんだ。
『今すぐ出て行け』
機械越しに冷たい声が突き刺さる。一応クソ兄貴に電話して社宅は使えないからマンションに戻ったことを伝えたら、期待通りの血も涙もないこのお答え。
「出て行くなんて無理だからね。行くとこないんだから」
『友達の家にでも泊まれ』
「そんなの急に無理に決まってんでしょ、このバ」
『ば?』
これだからクソ兄貴との会話は怖いんだ。
「と、とにかく、あたしは出て行かないからね」
『そこら辺の男捕まえてホテルにでも泊まれ。一応女子高生なんだからどっかの物好きに拾ってもらえるだろ』
どこの世界に可愛い妹に援助交際させようとする兄貴がいるんだ。ここにいた。
『俺が帰ったときにいたらどうなるかわかってんな』
多分即行で冬の夜に締め出されることでしょう。
結局クソ兄貴の言いなりになるしかない自分に涙が出そうになる。
昔からあいつはそうだった。
自分の都合を人に押し付けて、あたしのことなんて少しも考えてくれなかった。
制服のままベッドに倒れ込む。布団に顔を埋めて、何となくおかしい自分に気づいた。
胸がむかむかして吐き気がする感じ。クソ兄貴が原因なのはわかってる。
ただ、昔とは違う感じで。昔は怖いとか大嫌いとかそういう感情だけで、それとは違う。
昨日朝帰りしたクソ兄貴から明らかに女物の香水の匂いがしたのを思い出す。
もう二十七歳で結婚していてもおかしくない年で、だからきっとそれはそういうことなんだろう。
その前の日にしたのとはまた別の香水の匂いだったのも、外見に騙されるバカな女が多いってだけで。そのせいであたしが追い出されるのは癪だけど。
今日泊めるって言っていた知り合いだってどうせ女の人に決まってる。
クソ兄貴が誰とどういう付き合いをしようが構わない。人として最低だと思うけど相手もそれでいいって言うなら、あたしが口を挟む理由はない。
ないはずなのに。
何だか苛々する。
もしかしたらこのむかむかは最低なクソ兄貴に対する嫌悪感からくるのかもしれない。
間違ってもやきもちをやいてるとかじゃない。絶対にそれだけはない。あるわけない。
あたしはあいつが嫌いで、クソ兄貴だってあたしを嫌ってる。
何故か妙に容子さんには弱いクソ兄貴は、容子さんに言われたからあたしをここに置いているだけなんだろうし。
「あんな奴、大嫌いだ」
遠い昔は大好きだった、大嫌いなクソ兄貴。
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