トップ | 小説一覧 | くさり目次 | 熱の功罪 010203


 クソ兄貴が風邪をひいた。


  熱の功罪01


「何度?」
 ベッドの上でだるそうにシャツの中から体温計を取り出したクソ兄貴は、何も言わずにあたしにそれを渡す。ぼさぼさの頭で眼鏡をかけていないクソ兄貴はいつもより少しだけとっつきやすい。
「三十八度六分か……」
 クソ兄貴が寝込むくらいだから、てっきり四十度くらいあるのかと思ったけどそんなに高くなかった。と言っても微熱でもないから薬を飲んだほうがいいかもしれない。
「薬は」
「いい」
 あたしのせっかくの提案をすぐに却下してクソ兄貴は倒れ込むようにまた横になった。
 何だかかなり辛そうだ。日々の行いが悪いからだざまあみろとまではさすがに言わないけど、あたしをいつもこき使うバチだとは思う。
 これが平日だったらあたしはクソ兄貴なんか放っておいてさっさと学校へ行くのに、今日はあいにく日曜日。
 知らんぷりでもしようものならあとで嫌みのオンパレードになるだろうから、仕方なく看病ってやつをしてあげることにした。


 とりあえずは何か冷やすもの。水枕はないし濡らしたタオルだけでいいかな。風邪って言ったらやっぱりおかゆも作らないと。この間おかゆを入れるのにちょうどいいお皿も見つけたんだ。やたらと大量にある梅干も添えて。
 濡らしたタオルを手にクソ兄貴の部屋に戻ろうとして、鼻歌を歌っている自分に気がついた。そしてこの妙な浮かれ気分。自然に緩む口元。
 ……あのクソ兄貴が。愛の告白もどきやプロポーズまがいのことをしておきながら、全部あたしの勘違いかって思ってしまうくらいこき使うわ嫌みは言うわ、別にどうでもいいけど兄としての愛情すらこれっぽっちも見せてくれないあのクソ兄貴が、弱ってる。

 これを喜ばずに何を喜べと言う。



「はい、あーん」
 レンゲですくったおかゆをお約束通りふうふう冷ましてから、起き上がっているのも辛そうなお兄様に差し出してあげる。
「……茜」
 喉もやられたのか、掠れ気味の声。
「食欲なくてもちゃんと食べなきゃ駄目だからね。せっかく作ったんだし。はい、あーん」
 これが逆の立場だったらと考えるとちょっと恐ろしい。クソ兄貴がふうふうしたのを、食べさせてもらう。……う、わあ、鳥肌ものだ。さぞやクソ兄貴も今むずかゆくてたまらないに違いない。
 あたしの嫌がらせに抵抗する気力もないらしいクソ兄貴は、観念したように少しだけ口を開けた。数回小さく口を動かした後。
「……まずい」
 こんなときでも文句だけはしっかり言うんだな。
「味見くらいしろ……ごほっ……っ」
 咳き込んだ姿が本格的に辛そうで、ほんの少しだけかわいそうになった。
「味見はしました。文句言わないで食べてよ」
 クソ兄貴の口元にレンゲを持っていく。しばらくそれをじっと見つめていたクソ兄貴は渋々食べ始める。あからさまにまずそうに顔をしかめるのは腹が立つけど今回だけは大目に見てやる。
 こうやって食べさせてあげてると、何だか雛に餌をやる親鳥になった気分。
 おうおう、ご飯粒がくっついてるぞ。
 最後の一口を無事にクソ兄貴が食べ終え、空になった食器を横に置いてあたしは手を伸ばした。クソ兄貴の唇にくっついたままになっていたご飯粒を取ってあげる。

「あは、今日のお兄ちゃん子供みたい」

 何気なく言って、取ったご飯粒をパクッと自分の口に放り込んだら腕を掴まれて、ぐるっと世界が反転。あたしは何故かベッドに横になってクソ兄貴と天井を見上げていた。
 つまり、いつかのようにまた押し倒されてしまったわけで。
 弱ってるはずじゃなかったんですかお兄様。
「いや、あの、ごめんなさい。お兄ちゃんはちゃんとした大人です」
 さっさと謝ってしまったほうがいいとすぐに悟った。一応もう二十七の男なんだから、子供なんて言ったら怒るのも無理はないのかもしれない。
「あか、ね……」
 荒い息の中、掠れた声であたしの名前を。背筋がぞくりとする。押し付けられたままの左腕が痛い。
 少しばかり潤んだ熱っぽい目がいつもと違う色をしている気がして。
「だから、ごめんって」 
 軽く開いたクソ兄貴の唇を間近で見て、何故か動揺してうっかり視線を下に向けてしまったのは失敗だった。
 ボタンがいくつか外れてるシャツの襟元から覗いたクソ兄貴の素肌が目に飛び込んできて、どうして高鳴るあたしの心臓。
 鎖骨フェチだと公言している友達の顔がほわんと浮かんだ。これを見せたら噛み付く勢いで喜びそうだ。ちらりと見える鎖骨が最高にセクシーだとか、鎖骨こそ我が命だと熱弁するのをいつも冷めた目で見ていてごめんなさい。今ならあなたの言っていることが痛いほどよくわかります。
 気に食わないけど、客観的に見るとこの人もそれなりに「いい男」ってやつで。
 押し返そうとした両手が触れたクソ兄貴の体が、布越しでも予想以上に熱いとわかって思わず手を離した。
「あかね……」
 掠れた声でもう一度名前を呼ばれた。

 ……これがあれか。男の色気ってやつか、もしかして。


02へ→


トップ | 小説一覧 | くさり目次