トップ - 小説一覧 - 青い鳥はいない06 ←前へ 次へ→
黒岩双葉の掃除が終わるのを待つために今日も私は昨日と同じように昇降口の端で脳内ごっこ遊びにふけろうとしていた。
学校では昼休みに主にキャサリンと黒岩双葉の二人が盛り上がるお喋りをするだけで済んだけど、黒岩双葉は一緒に登下校をやめる気がないらしい。
06.狙われた唇
今日は風の妖精のダンス大会の審査員になった私は、風にもてあそばれている校門に向かう女の子のスカートや髪の毛、ざわめく葉っぱや舞い上がる砂埃に目をやっていたけど、黒岩双葉の顔が何故かちらついて全然集中できない。
仕方ないからダンス大会は諦めて黒岩双葉をふるタイミングについて考えることにした。
どのタイミングが一番黒岩双葉にダメージを与えられるだろう。
つきあい始めてわずか三日目で私の身も心もすでにぼろぼろ状態だからできるだけ早くふってしまいたい。でもさすがにまだ早い気はする。
ダメージを与える方法を激しく間違えたのだというささやきはすでに何度か聞こえないふりをしているけどそろそろ厳しくなってきた。
「薫子がため息って何か珍しい」
ため息をついたらその元凶の声がして私はいつの間にか下に落ちていた視線を持ち上げた。
「お待たせ」
黒岩双葉の笑顔からはすぐに視線を外した。
「あれ、本当に元気ない?」
「元気だよ」
「ああ、ご機嫌ななめモードなんだかわいい」
途切れずにくっついてきた語尾がおかしい。
「……早く帰ろうよ」
いたたまれなくなって促したら手を握られた。
「へへ」
黒岩双葉の得意げな顔を思わず凝視した。
さすがに手を繋ぐのは周りに散歩中のおじさんおばさんくらいしかいないときだけだと思っていたのに甘かった。黒岩双葉は将来公共の場でキスとかしちゃう迷惑なバカップルの片割れになるに違いない。
ちらちら感じる視線は気のせいか、羨望の的になっているだけだと思おう。
「今度の土曜、一緒に勉強しよ」
調子にのった黒岩双葉の提案に、歩き出しながら私は努めて冷静に答える。
「……いいけど」
これ以上一緒にいたくはないけど、とにかくできるだけ早いうちにたくさん思い出を作ってさっさとふってやろう。
私のそんな魂胆にも気づかずに黒岩双葉は私と手を繋いままガッツポーズした。本当に恥ずかしい奴。
「じゃあじゃあ俺薫子のうちに行きたい!」
「だ、断固拒否します」
調子にのりすぎだ。
「なんで? あ、もしかして親がいるからとか?」
「土曜日は一人だけど」
しまった。またつい正直に答えてしまった。暇かと訊かれたら忙しいと答える準備はしていたのに。
「俺んちは父さんが家で仕事するとか言ってたからだめでさ」
「うちもやだよ」
「えーいいじゃん誰もいないなら。はっ、もしかして誰もいないから俺が何かするかもって警戒してる?」
「何かって、まさか泥棒でもする気?」
「え」
「え」
妙な反応をされて見つめ合ってしまった。
「いや、ほら、つきあってるわけだし俺たち」
「うん」
「……だから」
「うん」
「キ、キス、とかさ……って何その変な顔」
変な顔にもなる。
「私とキスしたいの?」
「なんでそんなに驚くんだよ。好きでつきあってるんだもん。薫子だってそうだろ」
そうか、このままだと私が公共の場でキスとかしちゃう迷惑なバカップルの片割れにされる危険性があるのか。
手を繋ぐくらいならまだしも、いくら相当なダメージを与えられるとしてもさすがにファーストキスの相手が黒岩双葉じゃ私へのダメージもでかすぎる。
「本当にしたいって思う?」
「え?」
何か間違いがあってからでは遅い。ここは黒岩双葉からそんなことをしたいと思う気持ちを削がなければ。
「こんなんでも?」
私は少しだけ後ろを確認してから黒岩双葉のほうに顔を向け、でかい目を見つめて唇をつき出した。
どうだ。
黒岩双葉がひくかふき出すかするのを待っていたのに、黒岩双葉は見開いた目で私の顔を見つめただけだった。そしてその口から出てきたのは全身鳥肌ものの世にも恐ろしい言葉だった。
「……して、いいの?」
私は即座に唇を引っ込めた。
「だめ」
なんだこいつ。今の私の顔、ちゃんと見てなかったのか。
気にしないようにしていた黒岩双葉と繋がっている右手が腕ごとぞわぞわした。
「な、なんだ、びっくりした」
びっくりしたのはこっちだ。
「お、俺は、いつでもオッケーだから!」
そんなことを言われても気持ち悪いという言葉しか出てこない。しばらく治まりそうにない私の鳥肌をどうしてくれる。
「私はふ、双、葉、とそういうことする気ないから」
さっきみたいな間違いがないようにはっきり言っておく。
「え」
あからさまに残念そうな顔をされても知ったことではない。
「そ、そっか。まだつきあい始めたばっかだしな。じゃあ、薫子がする気になるまで俺も待つ」
私の発言は黒岩双葉に正しく伝わらない運命にあるらしい。
大体黒岩双葉とキスする気になんて一生なるわけないだろバカめ。
「だから二人きりでも大丈夫だから土曜日薫子の家で勉強したい」
心の中であっかんべえをしていたらいつの間にか話が元のところに戻ってきていた。
「……うちのマンション、ボロいよ。部屋も狭いし、出すお茶もないし」
「そんなこと気にしてたんだ。薫子が一緒なら何でもいいよ」
「でも――」
「明日地図描いて。あーまた楽しみが増えた。幸せだー」
私は一言もいいなんて言っていないのに私のうちで勉強することは決定事項になっていた。黒岩双葉の図々しさは相手が私じゃなくてもふられる要因の一つになるんじゃないかといらない心配をうっかりしてしまった。
「ラブラブだね……」
給食を食べ終え片づけも終わり一息ついたところにやってきたキャサリンがため息をついて至極残念そうに言った。
「何が?」
「カオルンと黒岩くんに決まってるでしょ。今日だって学校来るとき手繋いでるの見ちゃったんだからっ。あーん、うらやましいよぉ。キャサリンも彼氏欲しいラブラブしたいっ」
キャサリンの動きが大きすぎて教壇の上を通ろうとしていた寺崎くんが思い切りひいていた。
彼氏が欲しいならそのキャラやめればいいのにと前言ったら「このキャサリンはそのままのキャサリンだよっ」とよくわからない答えが返ってきたのを思い出した。
「見てたなら声かけてよ」
「それでさ」
私の訴えを無視したキャサリンは顔を近づけてきて声をひそめた。今日のキャサリンはイチゴのにおいがする。
「もう、キスした?」
まさかキャサリンとこんな会話をすることになるなんて、数日前は思いもしなかった。
「……私、そういうのは結婚できる歳になるまでしない主義だから」
よく考えたら来年にはその歳になってしまうわけだけど、そもそも黒岩双葉とするつもりなんてないし。
不意にキャサリンに真顔で見つめられた。
「カオルン、結構乙女だね」
「は?」
黒岩双葉みたいにワンパターンではないけど基本的に何かしらの表情をわざとらしく作っているキャサリンのこういう顔は黒岩双葉の以上にレアかもしれない。
キャサリンはすぐに口先をひょこっとつき出してよく見るキャサリンの顔に戻った。私もおもしろそうというそれだけの理由でキャサリンの顔真似の練習をしたことがあるけど、鏡に向かって練習している自分と目が合って以来封印している。
「でもでも、黒岩くんは絶対カオルンの唇狙ってるよっ」
気色悪いことを言われてぶるっと震えた。
「……私がする気になるまで待つって言ってたよ」
そのときは永遠に訪れないけど。
「カオルン、それ信じてるの?」
キャサリンに驚かれてこっちが驚いた。
「だって、そう言ってたよ」
「そんなの建前に決まってるってば。キャサリンちょっと心配になってきちゃった。黒岩くんなら大丈夫って思いたいけど、カオルン男の子を信用しすぎてるっ」
「何してんの? 内緒話?」
話題の主が唐突に割り込んできた。
「黒岩くんの危険性をカオルンに教えてあげてたのっ」
「は!? お、俺の何が危険なんだよ」
「うわわ、そんなに動揺しちゃうってことは心当たりがあったりしちゃうんだ」
「ばっ、ねえよ!」
今日も頭の上が騒がしい。キャサリンと黒岩双葉がつきあったら案外いいカップルになるかもしれない。
くだらないことを考えながら私は大きなあくびをした。