トップ - 小説一覧 - 青い鳥はいない05 ←前へ 次へ→
黒岩双葉の待ち伏せを避けるために家を早く出るか遅刻ぎりぎりに出るか。
ぎりぎりだと万が一黒岩双葉がまだ待っていた場合救いようがなくなるから迷った結果昨日よりも早い時間に家を出た。
05.こわいのはどっち?
「薫子ー!」
昨日キャサリンが立っていた場所で黒岩双葉が私に向かって手を振っていた。
覚悟はしていたけど眉間にしわが寄るのは抑えられなかった。さすがに今日はキャサリンの姿はなくてますます気持ちが沈む。
「おはよう」
「……おはよう」
「昨日は用事大丈夫だった?」
朝から無駄にさわやかスマイルの黒岩双葉はのん気に言った。昨日の私の言葉を信じたのか。
「うん」
「そっか、よかった。それにしても薫子今日も早いな。あと五分寝てたらまた先に行かれるとこだった」
左右非対称な髪型に目をやった。せめて黒岩双葉がこの寝癖を直していたら私は先に行けたのに。
「何となくそんな気分で。別に、待ってなくていいのに」
「待ち合わせの時間決めてなかったから」
会話がどこかずれているのにも気づかずに黒岩双葉は勝手に待ち合わせすることを決めてしまう。一緒に登校したくないとはっきり言わないと黒岩双葉には通じないようだった。
「何時がいい?」
拒否権はやっぱりないらしいから仕方なく考える。今日は早すぎるしいつもの時間だと人が多い。
「昨日と同じ時間がいい」
「よし、じゃあ決まり! 朝が楽しみになるなあ」
こっちは朝がますます憂うつになったぞ。
「つきあうってさ、他には何すればいいんだろ」
「別に、何もしなくてもいいんじゃない。それに無理に一緒にいる必要もないと思う」
むしろ何もしたくないし一緒にいたくもない。
「何か大人」
相変わらずよくわからない感想が出てくる。
「でもさ、俺、無理にとかじゃなくて薫子といっぱい一緒にいたいよ」
歩き出してすぐ、気持ち悪いことを口走った黒岩双葉が急に立ち止まるから、私も立ち止まって後ろを振り返った。
「手も、繋ぎたい」
絶対嫌だと出てきそうになったのはどうにか飲み込んだ。
何故か真顔の黒岩双葉が少しこわい。
「昨日もずっと思ってた。手繋ぎたい」
せめて、いつもの笑顔だったらよかったのに。真剣モードの黒岩双葉は思っていた以上に気味が悪い。
「じゃあ」
わたしは右手を黒岩双葉のほうに差し出した。本当はものすごく嫌だけど黒岩双葉にダメージを与えるためだ。今我慢した分だけ黒岩双葉の傷になると思えば手を繋ぐことくらい何でもない。と自分に言い聞かせる。
「え」
自分から言い出しておいてどうして驚くんだ。
「マジで? いいの? う、うわあ、やばい。どうしよ」
黒岩双葉にイライラして手を引っ込める寸前で、握られた。
一昨日触れたときはあたたかかった手が、今は冷えて少し湿っていた。全身にぞわぞわと鳥肌が立つような感覚がした。
「つ、繋いじゃった」
真っ赤になった黒岩双葉の顔が、だんだん緩んでいく。
「へへ、俺幸せ」
手を繋いで何が楽しいのかわからない。
ふりほどきたいのを我慢しながら歩き出す。
「薫子の手、ちっちゃくてあったかい」
黒岩双葉の口をふさいでやりたい。
冷たかった黒岩双葉の手が、私の体温を奪っているのか熱いくらいになってきた。
「く……双葉、って、今までも誰かとつきあったことある?」
クラスが離れていた一、二年の頃の黒岩双葉を私はほとんど知らない。男女関係なく友達が多いし黒岩双葉を好きになる趣味の悪い人もいるみたいだし流れでつきあうなんてこともありそうで、別に私には何の関係もないけどもしかしたら今後何かの参考になるかもしれないから、気を紛らわせるのも兼ねて尋ねたら「ない」と即答された。今までの言動からそうかもしれないと思ってはいたけど本当にそうだったんだ。
かわいそうな黒岩双葉。初めての彼女が私だなんて。
「薫子は?」
「……あるよ」
正確にはつきあっていたのではなくつきまとわれていただけだけど。幼稚園の頃。
「手を繋いで、ほっぺにちゅうもされた」
どっちも無理やりだった。同じさくら組だったしんどうくん。ある日突然おまえはおれのかのじょ宣言をして散々つきまとってきた挙句私の初めてのほっぺにちゅうを無理やり奪って一週間後外国に引っ越していったしんどうくん。一週間もつきまとわれて恐怖の時間を過ごした恨みを私は忘れない。
「誰そいつ」
黒岩双葉の右側の、道と家との境にある塀の上。白い猫が十数メートル先にいて心臓が縮こまった。木の陰になって見えにくいけど確かにいる。
「黒……双葉、の、知らない人だよ」
私も下の名前は覚えていないし顔だって坊主頭だったことくらいしか記憶に残っていない。
白猫は眠っているようだった。そのまま起きるな。
「どっち」
繋いでいた右手が先に進まなくなって後ろに引っ張られた。振り返って、やっと私は黒岩双葉が珍しく怒ったような顔をしていることに気づいた。
「何が?」
「ちゅうされたの」
「え、そんなの、覚えてないよ」
何だこの空気。
「……いいけど。別に。今は薫子は俺のものだし」
どんびき。した。黒岩双葉とつきあい始めてわずかの間にすでに何度もひいたけどその中でも最大級のどんびきだった。周りにはさわやかキャラで通っているはずの黒岩双葉の口から、到底さわやかではない言葉が出てきて私は黒岩双葉の不機嫌そうな顔をまじまじと見つめてしまった。
ちょっとつきあっているだけの相手を所有物扱いするって、どういう神経をしているんだろう。
「私、黒い――」
「双葉」
「……私双葉の、ものなの?」
「うん」
当たり前のように頷かれて愕然とした。
「……じゃあ、ふ、たば、は私のものなんだ」
「うん」
皮肉のつもりで言ったのにあっさりと肯定が返ってきた。
「だから、ずっと一緒がいい」
黒岩双葉の顔はもう見られなかった。変だ。黒岩双葉は変だ。大嫌いだけど、確かに偽善者で勘違い男でちょっと強引なところはあるけど、もっとまともな人だと思ってたのに。私でも、ちゃんと普通の人に好かれるんだって、思ってたのに。
突然黒岩双葉が得体の知れない人になってしまったみたいに感じて、手を繋いでいるのがこわくなった。腕にうまく力が入らない。
「そういうの、嫌だ」
「うん」
私の精一杯の主張にも、黒岩双葉はあっさりと頷いた。
「私、誰のものにもなりたくない」
「うん。薫子がどう思うかは、薫子の自由。だから俺がどう思うかも俺の自由」
つまり、そういう考え方を改める気はないということなのか。
「あ、グオッソ」
「え?」
唐突にわけのわからないことをつぶやいた黒岩双葉が歩き出した。私と手を繋いだまま。塀の上で寝ている白猫のほうへ。
「ま、待って、やだ」
黒岩双葉を止めようと足を踏ん張っても黒岩双葉にぐいぐい引っ張られてしまう。
黒岩双葉はとうとう白猫のいる塀の前に。黒岩双葉と手を繋いでいる私はどんなに離れたくても黒岩双葉と私の腕の長さ分しか離れられない。
「グオッソ、おはよう」
まさかそれは猫の名前なのか。
「薫子が猫だめなのってアレルギー?」
「近寄ったことないからわからない」
「やっぱり不思議。なんでそんなに苦手なの? あんなでかい蛾には触れるのに」
昼休みに教室に巨大蛾が迷い込んで大騒ぎになったとき、隣の席の寺崎くんの腕に止まったのを私がつまんで外に出したことがあった。あのときの寺崎くんのひきつった顔は傑作だった。今の私も寺崎くんのことは笑えないけど。
「その猫のほうがでかい。虫も爬虫類もこのへんにいるのなんて大した大きさじゃないし、犬だってちゃんとリードに繋がれてるのに猫はこんなに大きくて爪もあって危ないのに自由に動けるんだよ。絶対おかしい」
ぶはっと、黒岩双葉がふき出した。
「そっか、ぷっ、はははっ、それで猫がだめなんだ。過去に何かあったとかじゃなくて」
「な、なんでそんなに笑うの」
「ごめん、だって、でかい蛾逃がしたときはすっげえ男前って思ったのに、今はすっげえかわいいんだもん」
かわいいなんて、黒岩双葉に、それも笑われながら言われたって嬉しくも何ともない。
「じゃあ、少しでも慣れるためにグオッソに近寄ってみたら?」
やっと声を出して笑うのをやめた、それでも笑顔の黒岩双葉は恐ろしいことを提案してきた。
「野良だけどおとなしい猫だし、今なら寝てるから近くで見るくらいなら」
「や、やだ、絶対嫌だ! 無理!」
本気で黒岩双葉の手をふりほどこうと腕をぶんぶんふったり引っ張ったりしていたら、黒岩双葉はやっと諦めた。
「そんなに嫌なんだ。じゃあ、また今度時間があるときにしよ」
「時間があっても嫌! 大体猫に慣れる必要なんてない!」
「はいはい」
黒岩双葉は繋いでいないほうの手で私の頭を撫でた。私は身震いしそうになったのをどうにか堪えた。子供扱いをされた屈辱感にも耐えた。
「髪、短いのが好き?」
私の頭を撫でていた黒岩双葉の手に、そのまま今度は髪をつままれて私はぎこちなく頷いた。
「……うん」
「もしかしてこれ、自分で切ってたりとか」
子供扱いした直後に一方的に妙な空気を作り始めた黒岩双葉が気持ち悪い。
そんな黒岩双葉に頭を撫でられたり首の近くで毛先をいじられたりしても、叫びも殴りもしなかった自分を褒めたい。
「髪を切りに行ったつもり貯金、してるから。変?」
今まで誰にも何も言われなかったけど、キャサリンみたいに器用なタイプではないから少し気になって思わず訊いてしまった。
「全然。むしろかっけえもん」
黒岩双葉に褒められても別に嬉しくないけどとりあえず少しだけほっとした。
黒岩双葉の手が一瞬私の手から離れて、これでやっと解放されると思ったら握り直されただけだった。