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第4話 眠り姫はあたしの名を呼ぶ
昼休みには屋上へ行くのがあたしの習慣になった。
特に何をするでもなく、結城くんと一緒にぼんやりしたり、あたしが一方的にはなしかけたり。結城くんの気が向くと一応会話らしくなって、今はそれが嬉しい。
二宮さんはいたりいなかったりする。来たと思っても、結城くんに頼まれていたものを渡すと、すぐに行ってしまうことのほうが多かった。結城くんのいい加減な相槌によると、今までもそんな感じだったらしい。
二宮さんから見れば、きっとあたしは嫌な女に違いない。いきなり二人の間に図々しく割り込んで、二人の世界を壊してしまった。
でも、どうにも抑えられない想いだってある。
そういう気持ちがあるのだと、知った。
昇降口を出たところで、あたしは一人で校門のほうへ歩いている二宮さんを見つけた。
一緒にいた友達に断って、あたしは二宮さんのところへ行った。
「二宮さん、一緒に帰ろう。同じ方向だよね」
二宮さんは一瞬驚いたような顔をしたけど、頷いた。
一緒に帰ることになったけど、正直話すことがない。
共通の話題と言えば結城くんのことくらい。
「あのさ、結城くんって何か変わってるよね」
「……うん」
「結城くんの好きな食べ物とか知ってる?」
「……確か、甘いものが……」
「うそっ。全然似合わない!」
「…………」
「…………」
会話はすぐに途切れてしまう。
重い空気。
二宮さんが戸惑うのも、仕方がないと言えばそうなんだけど。
「そう言えば」
排気ガスと車の騒音の中であたしは訊いた。
「二宮さんて下の名前何て言うの? 実はあたし、まだ知らなくて」
二宮さんはその視線をあたしに向けて、すぐに下に戻す。
「珠樹……です」
「珠樹かあ。可愛い名前だね。たまき、たま……」
知らないほうがよかったことを、知ってしまった気がした。
結城くん、"タマ"って言ってなかった?
二宮さんのことは、ちゃんと名前で呼ぶんだ。あたしはまだ名前を呼んでもらったことなんてない。
その差がひどく大きく感じて、胸が鈍く痛んだ。
「いいね、二宮さんは……」
「え?」
「結城くんに名前を呼んでもらえて。あたしなんか、いまだにあんたとしか言ってもらえないもん」
「……名前を呼んでもらったことなんて、ないけど」
「え、でも」
「私は」
珍しく二宮さんが言葉を続けた。
「由良木さんのほうが羨ましい」
「……なんで?」
意外に思いながら訊いた。二宮さんのほうが、あたしの知らない結城くんをたくさん知っているはずなのに。
「だって、私は結城くんとあんなに楽しそうに話せないから」
二宮さんは立ち止まった。
「私、こっちだから」
信号が青になり横断歩道を渡ろうとした二宮さんが、何かを思い出したように振り返った。初めて二宮さんの目があたしの目を捉える。
「由良木さん、名前を呼んでもらったことないっていってたけど、結城くんは由良木さんのこと、ユラって呼んでました」
「え、二宮さん」
呼び止めようとしたあたしを動き出した車が遮った。
「結城くん?」
昼休み、いつものように屋上に続く階段を上ったら、結城くんが屋上の扉の前の踊り場で壁に寄り掛かって座っていた。
あれ? いつもなら声をかければ一応顔は上げてくれるのに。
あたしはしゃがんで結城くんの顔を覗き込んだ。
あ、寝てる、みたい。
それにしても。
あたしはまじまじと結城くんの寝顔を見つめてしまった。
何て言うか……かわいい。
結城くんの別の一面を見た気がした。
髪に触れて見る。それから頬に。女の子みたいな肌。
そのときだった。
「あんた、人の寝込み襲う趣味があんの?」
起きてるなら起きてるって先に言え。
あたしは慌てて手を離した。
「ご、ごめん。あ、あのさ、結城くんて肌きれいだよね。何かお手入れしてるの?」
「…………」
そ、そんな怖い目で睨まないでよ〜。
そして焦ったあたしはさらにとんでもないことを口走ってしまった。
「だってホント女の子みた……い……」
縮こまったあたしを呆れた顔で見る結城くん。
ええい、もうこうなりゃやけだ。
ついでに訊いてしまえ。
「ゆ、結城くんは、二宮さんのこと好きなの?」
「……は?」
一瞬の沈黙の後、結城くんは聞き返した。
「好きじゃないなら、何で二宮さんに声をかけたの?」
「……暑かったから」
結城くんはいつもとぼけて答えてくれない。
「うそつき。ずるいよ、結城くん。いつもはぐらかしてばっか」
「いきなり何なんだよ。大体あんたには関係ないだろ」
関係ないって、結城くん、あたしは。
「あたし、結城くんに好きだって言わなかった? こっちは本気なんだよ。好きな人が他の人を好きかもしれないってことが、どれだけ辛いかわかる?」
思わず立ち上がったあたしは、あたしを見上げる結城くんに向かって一気に言った。 それから泣きそうになっている自分に気づいた。
「教室、戻るね」
泣き顔なんて見られたくないから、階段のほうを向いて。
「おい」
結城くんが呼び止めてくれたけど、振り向かない。
「ユラ?」
階段を三歩下りたとき。
結城くんが、あたしの名前を呼んだ。
「やっぱりずるいよ、結城くんは」
あたしは振り向く。
「なんでこんなに好きになっちゃったんだろう。責任とってよ」
笑ったつもりだったけど、泣き顔になっているかもしれない。どっちにしろすごい顔になってるんだろうなと、他人事のように思った。でもそんなことは気にしない。
あたしはもう一度結城くんに告げた。
「あたしは結城くんのことが好き」
放課後、あたしは体育館裏で二宮さんと向かい合っていた。
「あの、話って」
気まずそうにしていた二宮さんが口を開いた。
「……二宮さんに訊きたいことがあって」
あたしは足元の雑草を見つめ、それから顔を上げて思い切って言った。
「二宮さんって本当は結城くんとどういう関係なの?」
あたしの告白の後、結城くんは言った。
いつもおとぼけな結城くんが、珍しく真剣な顔で。
今は答えられないって。
その理由はやっぱり二宮さんしか考えられない。
二宮さんは俯いたまま何も答えない。
「あたしは結城くんのことが好き。だから、本当のことを教えてほしい」
何も知らずにいればきっと楽だろうけど、あたしは知りたい。
「結城くんは」
二宮さんが顔を上げた。何かを決意したような瞳。
「とてもやさしい人です」
やっぱり二宮さんはあたしの知らない結城くんを知っているんだ。
体育館からボールの弾む音とかけ声が聞こえる。風でざわめく木の葉の音が何だか遠い。
だけど二宮さんは、あたしの耳にはっきりと届く声で続けた。
「安心して。私は結城くんのことが好きだけど、結城くんは私にそんな感情は持ってないから。結城くんはただ、同情してくれているだけ」
「同情……?」
二宮さんは初めてあたしに笑顔を向けた。でもその口から出たのは笑顔には似合わない言葉だった。
「私、自殺しようとしたことがあるんです」