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星の瞬く夜
星が綺麗な夜だった。
ベランダから見上げた夜空に、知っている星座をいくつか見つけて白い息を吐き出した。
小さい頃住んでいたマンションで、冬の日に和輝と一緒にベランダに出て星空を見上げたことを思い出す。和輝は星に詳しくて、星座や星のことをいつも教えてくれた。
一番最初に教えてくれたのはオリオン座で、それくらい知ってると言ったら和輝は拗ねてしまってなだめるのが大変だった。やっと機嫌を直した和輝が次に教えてくれたのはシリウスだった。太陽の次に明るいという星。
人は死んだら星になると誰かから聞いてきた和輝は、自分が死んだらシリウスみたいな星になってあたしを守ってくれると言った。和輝はあたしを喜ばせたくて言ってくれたのに和輝が死んでしまうなんて嫌だ、和輝が星になるならあたしも星になるからと、今度はあたしが泣いてしまって和輝を困らせた。
そうやって二人で寄り添って怒られるまで一緒に星を見ていた。
今は一人。
暖房のきいた室内にいるときと同じパジャマにカーディガンを羽織っただけの格好で外に出ているから体が芯から冷える。
手すりにかけた手もサンダルに通した裸足の足ももう痛みは過ぎて感覚がなくなりかけている。
そうすることであたしは気分を紛らわせていた。
部屋の電気は消して、暗闇に包まれたベランダに自分を閉じ込めて身体の震えも痛みも全部寒さのせいにして。
和輝の帰りがいつもより遅い。普段なら遅くなるときは前もって言うか連絡をくれるはずなのにそれもない。急な仕事や誘いがあって連絡するタイミングがなかったのだろうと想像はついた。
もう少し待てば連絡くらいは来るかもしれないし、もしかしたら携帯電話の電池が切れたりして連絡したくてもできないのかもしれない。
和輝がもう子供じゃないのと同じようにあたしも子供じゃない。
でも、和輝のことになるとそんな理屈なんて簡単にどこかにいってしまってよくない想像が次々とあたしを押しつぶして不安にさせる。
もし事故にあっていたりしたら。もし何か事件に巻き込まれていたりしたら。
「沙夜!」
後ろで部屋の電気がついたことを認識する前に掃き出し窓が勢いよく開けられて、とても聞きたかった声とともにあたしは強い力によって明るい室内に引き戻された。
「かず、き」
息を荒らげた和輝を見上げて、ぴしゃりと、すぐ横で窓が閉められる音を聞いた。
「何してた」
あたしと同じように冷気をまといながらあたしを抱き寄せた和輝の声は、少し怒っていた。あたしは大きく息を吸い込んで、急に跳ね上がった心臓を落ち着ける。
吸い込んだのと同時に慣れないにおいが一層鼻をつく。お酒くさい。コートに和輝は吸わない煙草のにおいもついている。
普段ならくだらない胸の痛みを覚える知らない和輝のにおいが、今は安堵の材料になる。
よかった。
あたしが考えていたいいほうの想像が当たった。
「飲むなら、連絡してくれればよかったのに」
和輝の問いに答えずに言ったら、「ごめん」の後にもう一度同じ質問をされた。
「星を見てたの。今日はいつもより綺麗に見える気がしたから」
「こんなに冷たくなって?」
和輝はあたしを離して両手をとった。和輝の冷たいはずの手が、それよりも冷たいあたしの手には温かく感じて凍った両手がじんじんとけていく。
「俺のせいでしょ」
あたしは曖昧に笑う。
「俺がちゃんと連絡しなかったから」
「あたし、そんなに子供じゃないのよ。別に、絶対に連絡してって約束してたわけじゃないし、和輝には和輝の都合があるってわかってる。だから、これは和輝が悪いんじゃなくてあたしの問題なの」
でもどこかに、和輝を心配させたい気持ちがあった。だから部屋を真っ暗にした。帰ってきた和輝がいつもの出迎えがないことと真っ暗な部屋に驚いてあたしの姿を探すことはわかっていた。
「ごめんなさい」
あたしが謝ると和輝は何を謝られているのかわからないというふうに首を横に振った。
「少し、和輝を心配させたかったの」
「少しじゃなくて、すごく心配した」
「うん。知ってる。だからごめんなさい」
「沙夜、愛してる」
もういいよと言う代わりに。和輝が数え切れないくらい言ってくれるその言葉が、どれだけ重いものかあたしは知っている。
「うん、あたしも愛してる」
息が詰まりそうなくらい、あたしは和輝を愛しているし和輝もあたしを愛してくれている。
和輝の顔に両手を添えようとして、自分の手の冷たさを思い出した。一度持ち上げた両手は、少し迷ってから和輝の首に回す。すぐに和輝の腕もあたしを抱き締めてくれるのを感じて目を閉じた。
「和輝、お帰りなさい」
「ただいま、沙夜」
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