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 うつせみ 02

「それじゃあどこから行こっか」
 コーヒーカップの前で辻さんが班のメンバーを見回しながら言った。
 入場する前に班ごとに出席確認をした。わたしが入れてもらった班は辻さん、門倉さん、中野さんに矢部さん、それから神くん、わたしで六人全員ちゃんと揃った。
 平日の遊園地。休日よりは少ないのかもしれないけど人の気配で満ちていた。
 隣にいる神くんをちらっと見上げた。女子の中に一人だけ男子って、居心地悪くないのかな。
「辻さん、ちょっと」
 神くんが少し離れて辻さんに向かって手招きした。
「え、な、何?」
 神くんがさらに離れて辻さんも慌てて神くんのところへ駆けていった。
 周りの喧騒もあってこっちに背を向けた二人が何を話しているのかは聞こえない。辻さんが何度か頷いてから、急にこっちを向いた。目が合ったような気がしてとっさに違うところを見た。それからもう一度、二人のほうを見た。
 何、話してるんだろう。少しだけ見えた神くんの横顔は笑顔だった。神くんはあんなふうに女の子と話すんだ。そんなことも、よく知らない。
 突然神くんが両手を合わせて頭を下げた。辻さんは困ったみたいに両手を振っていた。わたしだけじゃなくて門倉さんたちも首を傾げている。
 二人が戻ってきた。また辻さんと目が合った気がして慌てて逸らした。
「辻、どうしたの?」
「あー、いや、それがさ、神くんと坂口さん、絶叫系が駄目だからうちらとは別行動ってことに。で、いいんだよね」
 中野さんに答えた辻さんが神くんを見上げた。意味をすぐに理解できなかったわたしは思わず辻さんを見つめた。
「うん、そのほうがみんな楽しめると思うから」
「そうなの? 神くんと回れるの楽しみにしてたからちょっと残念かもー」
 門倉さんの言葉に矢部さんも頷いた。
「でも、本当に二人で回るの?」
「そ、そうだ神くん! 一応メアド教えてもらえるかな」
 矢部さんを遮るように辻さんが言ってピンクの携帯電話を取り出した。神くんも制服のポケットから黒い携帯電話を出した。
 辻さんの携帯電話には白くて小さいうさぎのぬいぐるみみたいなストラップがついていた。神くんのには何もついてない。宗太郎さんの携帯電話も黒で、何もついてなかった。
 渡せなかった誕生日プレゼントのことを思い出す。あのときに気づいたら。でもいつも持っているものにつけるものなんて選べなかった。だから、この後悔はしなくていい。
 メールアドレスの交換はすぐに終わった。神くんのメールアドレス。わたしが知っても意味はないけど、知りたい。
「じゃあ時間になったらコーヒーカップの前ね」
 辻さんたちは最初はジェットコースターに乗ろうと言って歩き出した。わたしもついていこうとしたら神くんにリュックを引っ張られて後ろによろめいた。
「坂口さんはこっち」
 コーヒーカップの前に残されたのは神くんとわたし。
「もしかして坂口さん、絶叫系好きだった?」
「乗ったこと、ないからわからない」
「じゃあ、それは今度にしよう。どこから行く?」
 班は六人なのに今は二人だけ。神くんとわたしが絶叫系が苦手ってことになっていた会話の意味がやっとわかってきた。
「だ、駄目だよ、ちゃんと班で」
「ん、だから時間になったらまたここで待ち合わせ。人数多い班は、分かれて回るところも結構あると思うよ。まあ、逆もあるかもだけど」
 でも、神くんと二人だけなんて。嬉しいけど、遠足だから周りには同じ制服の人がたくさんいて、同じクラスの人もいる。それに辻さんたちだって変に思った。わたしと二人で回るなんて、普通は嫌がる。
「さっき、辻さんと話してた、のは」
「そのことと、あとはちょっとフォローを頼んだり」
 フォロー。わかったと思ったらまたわからなくなる。
「俺とのこと突っ込まれたりすると坂口さん、困ると思ったから」
 つまり、辻さんに他の人が神くんとわたしのことを気にしないように頼んだってこと?
「つ、辻さんに、わたしのこと何か」
「実は坂口さんのことが気になってる、この機会に仲良くなりたいから他の人には内緒で協力してほしい、みたいなことを」
 神くんの言葉が爆弾みたいに心臓の近くで破裂する。神くんの足元を見つめた。辻さんと目が合ったの、多分気のせいじゃなかった。
「あの、辻さんは本当に、そんなこと引き受けて」
 言っている途中で、さっき辻さんが神くんにメールアドレスを聞いたのは話を逸らすためだったのかもしれないって気づいた。
「女の子に頼み事して聞いてもらえなかったこと、ないから」
 思わず顔を上げた。目が合って神くんは笑った。
「なんて言うのは冗談だけど、相手が誰でもうまく頼めば結構聞いてもらえるよ」
 神くんのそういう冗談は冗談に聞こえない。わたしがそんなことを言ったら冗談にもならないけど。
「俺が辻さんと話してるの、気になった?」
「何、話してるのかと思って」
「俺が、他の女子と話すの嫌だった?」
 嫌。じゃなかった。不思議な感じがしただけ。首を横に振った。
「そっか。やきもちとか、やいてくれたらいいのにって思ったから」
 神くんが何を訊きたいのかやっと気づいた。気づいて血が上った。
 神くんのことを遠くから見ているだけだったら、神くんが他の女の子と仲良く話すところなんて見たくないって絶対思った。でもさっきはそういうこと、考えてなかった。神くんは、わたしのことを見てくれる。わたしが伸ばした手を掴んでくれる。それに。
「辻さんとは普通に、話してるだけってわかったから。あの、で、でも、わたしの知らないところで、女の子と仲良くしてたら気に、なる」
 凄く恥ずかしいことを言った気がした。
 神くんが笑った気配がして血は上ったままだった。
「ごめん、変なこと言って。どこ行きたい?」
「う、ん、えと、でも、やっぱり二人では」
「そんなに人目が気になる?」
 別に、責めるような口調じゃなかったのに息が詰まった。神くんはやさしくて宗太郎さんみたいにどんどん追い詰めてくるようなことはあまり言わないでいてくれるから、本当に些細な言葉が突き刺さって、神くんの言うことはその通りだったから奥まで突き刺さってしまう。
 昔は人からどう思われてるのか何も気づかなくて、今も昔と何も変わってなくてだから余計に、人の目が気になる。わたしと一緒にいて、神くんが変なふうに思われたり言われたりするのも嫌。神くんはわたしよりもずっと強いからきっとそんなの気にならない。気にしているのは弱虫のわたしだけ。
「ごめん」
 出てきたのはいつも口にする言葉だけだった。
 神くんは今何を考えているの。知りたい。知りたくない。知りたい。
「歩くときは少し離れて、知ってる奴がいたら別のところに行く。それならいい?」
 神くんのやさしさに溺れながら頷いた。
「ありがとう」

 最初は一番近くにあったコーヒーカップに乗ることになった。神くんと二人。周りに同じ制服の人が何人かいたけど知らない人だった。
 二人で乗るコーヒーカップは、恥ずかしかった。なんでかわからないけど凄く恥ずかしかった。神くんと向かい合って座ったら顔を上げられなくなった。
「ハンドル回してもいい?」
 神くんに頷いて答えて抱えていたリュックを抱き締めた。
 視界の端で景色がぐるぐる回る。体が傾いているような気がして真っ直ぐにしようとしたけどうまくできない。ぐるぐるいつまでも回るんだろう。
「坂口さん」
 名前を呼ばれて顔を上げた。回転は止まっていた。周りの人も降り始めていて慌てて立ち上がった。景色はもう止まっているのにわたしのぐるぐるは止まっていなくて、座り込みそうになったのを神くんの腕が支えてくれた。
「大丈夫?」
「うん、ごめ、ん、ありがとう」
 声を出したら気持ち悪くなっている自分に気づいた。ふらふらしながらコーヒーカップから降りた。
 ぐるぐるして気持ち悪い。駅にいたときと同じ。でもそのときよりももっとはっきりした吐き気だった。
「ごめん、ちょっと回しすぎた」
「ち、違う、あの、元から体調あんまりよくなくて」
「知ってる。駅でもつらそうにしてたから。だから本当にごめん。そこに座って」
 神くんに促されて近くにあったベンチに座った。背中を背もたれに預けたら少し楽になった気がして曇った空を見上げた。
「何か飲む?」
 訊きながら、神くんは少し間をあけて右隣に座った。
「ううん、ありがとう」
 リュックを抱き締めて目を閉じる。何やってるんだろうわたし。これじゃあ神くんは余計につまらなくなってしまう。
 目を開けて神くんのほうを向いたら神くんもわたしのほうを向いていてびっくりしてすぐに下を向いた。
「ごめん、せっかくの遠足なのに、わたしと一緒で」
「坂口さんがいなかったら、遠足なんて来なかったって言ったら怒る?」
「さぼるのは、よくないけど、あの」
 顔が熱い。嬉しいのと恥ずかしいのがぐちゃぐちゃに混ざって、またぐるぐる回る。
「次はお化け屋敷とか行ってみる?」
「う、ん」
 話題がすぐに変わってほっとした。
 今のも冗談だったのかもしれない。
 立ち上がろうとしたら神くんがそんなに急がなくても大丈夫だよって言ってくれたからまた座り直した。途端に声がした。
「あれ、神くん。と、えーと……二人だけ?」
 顔を上げたら同じクラスの人がいた。神くんの隣の席の遠藤くんだった。神くんから離れないと。
 立ち上がろうとしたのに、立ち上がれなかった。神くんがわたしの右腕を掴んだから。
「そっちは?」
 神くんは遠藤くんのほうを向いたまま。遠藤くんと一瞬目が合った気がして慌てて違うほうを見た。
「いやー、急に腹の調子が悪くなってさー。今戻るとこ」
「そうなんだ。こっちは絶叫系苦手組で別行動」
「え、神くん苦手なの?」
「今日だけは」
「……あ、あー、そういうことか。ええと、じゃあ俺もう行くね。なんか邪魔してごめん」
 走っていった遠藤くんに、神くんがひらひらと手を振った。遠藤くん、神くんがわたしの腕掴んでるの気づかなかったのかな。神くんとわたしが一緒にいるの、変に思わなかったかな。そういうことかって、どういうこと?
 神くんの手が離れて、自分の靴を見ながら考えていたら坂口さんって神くんに呼ばれた。
 神くんのほうを向いたのに少し遅れてカシャって音がした。神くんはいつの間にか携帯電話を持っていた。これと似たこと、つい最近もあった。玄関のところで宗太郎さんが。
「坂口さん、撮っちゃった」
 笑顔の神くんが、携帯電話の画面をわたしのほうに向けた。そこには、わたしの顔が。
「だ、駄目、消して」
 伸ばした両手はやっぱり空振りした。
「大丈夫。ちゃんときれいに撮れてるから」
「大丈夫じゃない」
 神くんも宗太郎さんも不意打ちで撮るなんて酷い。
「撮るって、言ってくれたら顔もっとちゃんと」
「撮るって言ったら坂口さん逃げるもん」
 その通りだったからもう何も言えなかった。
 神くんは携帯電話を右側に置いていた鞄に突っ込んで、それでおしまい。神くんの携帯電話にもわたしの変な顔が残ってしまった。
「今度、俺と……宗太郎と、三人で撮ろう。写真」
 一瞬見た神くんは笑顔だった。
 何も言葉が出てこない代わりに、せめてわたしも笑顔を作ろうとしたけどうまくできなくて俯いた。そう言ってもらえて本当に嬉しいって、ちゃんと伝えたいのに。

 しばらくベンチで休んでからお化け屋敷に行くことになった。神くんから少し離れて歩いた。そんなことしてる自分が嫌なのに神くんの隣には並べなくてもっと嫌になる。
 お化け屋敷の近くにも知ってる人はいないみたいだった。お化け屋敷、入るの初めて。中は暗くてほっとしたのに、神くんの手がわたしの手を。
 一瞬何かに触れたと思った左手、神くんに強く握られたって気づいたときはもう何もわからなくなった。駅では大丈夫だったのに、また大丈夫じゃなくなった。
 神くん、何も言ってくれない。
 お化け屋敷の中、ずっと神くんと手を繋いでいた。足元だけ見て歩いた。怖いものが見えても聞こえても意味がなかった。神くんと繋がっている左手だけが現実になった。それが全部だった。
 左手から神くんの手が離れて、顔を上げたら目の前が眩しくなってまた下を向いた。いつの間にか出口まで来ていた。
「坂口さんって、怖いの平気?」
 神くんに訊かれて首を横に振った。怖い話とか、嫌いじゃないけど本当に怖くなるのは駄目で、時々テレビでやっているホラー映画も一人だと見られないから見なくなった。
「そう? なんか全然驚いたりとかしてなかったから」
 それは、神くんの手で頭がいっぱいだったから。
 しばらく歩いて、またベンチで休むことになった。遊園地の端っこで、あまり人がいないスペースにあるベンチ。
「ここならゆっくりできそうかな」
「うん」
 神くんに頷いて答えて雲に覆われた空を見上げた。
 本当なら憂うつなだけの遠足が、神くんがいるだけで夢みたいな時間になる。
 わたしの居場所が神くんの隣にある。こんな現実はおかしい。
「体調、大丈夫?」
「うん、もう」
 大丈夫って続けようとしたら突然吐き気が込み上げてきて右手の甲を口に押し付けた。
「つらいなら寄りかかっていいよ」
 神くんに寄りかかるところを想像して首を横に振った。そんなことしたらもっと変になる。
「大丈夫、ありがとう」
 吐き気を押し込めてちゃんと言った。
 何度か深呼吸して目を閉じたら現実が遠くなる。
 いつもとは違う音の波にのまれながら、見慣れた風景を思い浮かべる。自分の部屋。教室。神くんのうち。あ、凄い。神くんのうちが見慣れた風景の中に入ってる。
 神くん。
 神くんがいなかったら今は居心地の悪い時間で、わたしの居場所もどこにもなくて昨日も今日も明日も何もなくて、どこまでも落ちていきそうになって考えるのをやめた。

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