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 触らぬ神に崇りなし02

 孝太の誘いに行くと即答しそうになったのを俺は何とか堪える。
「いや、やめとく。お前がそういうこと言い出してちゃんと話してくれたこと、ないし」
「ああ、ばれた?」
 ちょっと相談したいことがあるからと家に呼ばれて新技の実験体にされたりとか、ろくでもない思い出は結構鮮明に覚えている。というかいまだに根に持っている。
「でも渉にはちゃんと言っておきたかったから言えてよかった」
「別に俺に言う必要なんてねえだろ。二人の話なんだから」
 孝太は窓の縁についた腕に額を乗せて、わざとらしくため息をついた。
「冷たい」
「先に言っておくけど俺はお前たちのごたごたには一切関係ねえし話を聞くだけだからな」
 何がおかしいのか孝太は顔を伏せたまま肩を震わせ始めた。
「なんでそこで笑うんだよ」
「……別に……くっくっくっ」
 俺が孝太の性格をよく知っているように、孝太も俺の性格をよく知っている。
 だから本当なら誰にも打ち明けないはずの話を俺にだけはしたのか。
「あーもうめんどくさ……」
 この先ごたごたに巻き込まれている自分を想像して俺も特大のため息をついて項垂れた。



 絵でしか知らなかった坂口伊織を初めて見たのは三年の四月の球技大会のときだった。
 最初は誰だか気づかなかった。宗太の絵で顔はわかってたけど廊下ですれ違っても気づかなかったと思う。孝太の後ろのほうにいた二年がたまたま視界に入って、変な感じがしていたら孝太が意味深な笑みを浮かべてやっと気づいた。
 宗太と孝太が好きになるような子だから絶対に普通じゃないって思い込みと(確かにある意味普通からはちょっとずれてた)、何よりも宗太の絵の吸い込まれるような、圧倒されるようなイメージがあったから拍子抜けした。
 宗太の絵とは雰囲気が全然違って、でも宗太の絵の坂口伊織と全く同じ顔でやっぱり本物だった。
 とにかく期待外れでその日孝太と電話で話したときについ零した。
「何か思ってたのと全然違うんだけど。まさかああいうのがタイプだとは思わんかった」
『そう?』
「なんであれ?」
『なんでだろう』
「そんな他人事みたいに」
『なんでかわからないけど好きになって戻れなくなった』
 昼間見た坂口伊織の姿を思い出してみてもやっぱり理解できなかった。宗太の絵の坂口伊織ならまだわからなくもない。あれも相当美化されたイメージのような気がするけど。
 理解はできなかったけどどこかで羨ましいと思った。本気で好きだと思える相手を見つけるのは簡単なことじゃない。少なくとも俺には。
「それで、ずっとこのままでいるわけ?」
 一年も遠くから見ているだけだった相手と孝太が同じクラスになって、距離が一気に近くなった。
『まさか』
 やっぱりいずれは選択を求めるのか。
「坂口伊織が、もし自分じゃないほうを選んだらどうすんの」
 どっちもふられるのはまだいい。最悪なのは坂口伊織がどっちかを選んだとき。
『宗太郎は諦める気でいるけど無理だよ。俺も無理だし』
「無理っつっても諦めるしかねえだろ」
『そのあたりはまあ、なるようになると思うよ』
 孝太にしてはやけに楽観的なのが怖い。
「何があっても、前みたいなことにはなるなよ」
 言ってもどうしようもないことかもしれなかったけど言わずにはいられなかった。

 翌日学校の帰りに駅前で突っ立っている坂口伊織に気づいて、今までも見かけてたのかもしれないけど見えてなかったんだろうなと思った。
 宗太と孝太のことがあったから気になって話しかけて、定期を落として金もないとか言ってたからポケットに入っていた小銭を貸した。というかやったつもりだった。
 俺と坂口伊織の接点なんて宗太と孝太だけで、こうしてばったり会うか俺が孝太のとこに行く以外に顔を合わせることはない。孝太経由で返されるかもくらいは何となく思った。それなのに坂口伊織は直接俺のクラスまでやって来た。
 ちょっと話しただけだけどそういうことできそうにない性格だと思ってたから驚いた。
 驚いて、坂口伊織が無駄に真面目で頑固で意外と気が強いということも知った。
 そのとき投げつけられた茶色の封筒は数日後、中の小銭ごと孝太とのじゃんけんに数十回のあいこの末に勝ったらしい宗太へ渡った。坂口伊織が俺のとこに来たのが孝太にばれてて、駅で坂口伊織に会ったところから全部言わされて、勝手に会って話したことは見逃すから坂口伊織が返しに来た百五十円をこっちによこせと脅されたからだ。
 勝手にも何も坂口伊織はお前らのもんじゃねえだろというつっこみはもちろん我慢した。


 孝太は留年して好きな子と同じクラスになって、宗太は学校をやめるとか馬鹿なことして、バランスが崩れないわけがなかった。
 そのことも関係あるのか、宗太と孝太が坂口伊織のことでやたらと俺に絡んでくるようになってきた。
 孝太は坂口伊織を部屋に呼んだり、宗太もいつの間にか坂口伊織と顔を合わせていてそれぞれ距離を縮めていたけど坂口伊織が孝太を見ているのは俺以上に宗太がよくわかっていた。
 俺はどっちかを応援したりするつもりはなかった。口を出したのは坂口伊織が宗太のことをちゃんと見ないまま、またおかしなことになったりするのが嫌だっただけ。こんな面倒なことに関わりたくなんてもちろんなかった。ただ勝手なことはするなと言っておきながら無駄に絡んできていざってときはどうにかしてくれオーラ出されたら無視できない。確かに別にいざってときではなかったのは認めるけど。
 宗太のことも少しは考えてやれよとさり気なく伝えるつもりが、周りから必死に目を逸らそうとしているような坂口伊織の態度に何かむかついてきつい言い方をした。
 で、俺は坂口伊織を傷つけたらしい。宗太と孝太が坂口伊織のことで俺に散々絡んだのも原因の一つだってことは二人もわかってたから、どうしてこれで怪我しないのか不思議なくらい手加減なしの技をかけられて痛めつけられただけで済んだ。
 思えば理不尽なことが多すぎて今までに何度「絶交だー!」と叫んだかわからない。今はさすがに叫ばないけどちょっと泣きたい気分にはなった。



「坂口さんに冷たくされた」
 孝太が泣きそうな顔で言ってきたときは写真を撮りたい衝動に襲われた。もちろん実際にやったらどんな恐ろしいことになるかわからないからその衝動はなかったことにして、孝太の話を聞いてるときはできるだけ真面目な顔を作った。
 宗太は孝太に馬鹿とかあほとか追い討ちをかけていたから俺が励ます役をやらないといけなかった。
「ほら、坂口伊織って何か今までろくに人付き合いしたことなさそうだし、いきなり好意を向けられたりしてちょっと疲れただけだろ。あっちが距離を置きたがってるなら、今はとりあえずそうしてみれば? 押して駄目なら引いてみろって言うし」
 坂口伊織相手だとどうしていいかわからなくなるとかほざいていた孝太は俺の適当なアドバイスを実践したらしい。
 それでストレスが溜まったのか、孝太はあからさまにぴりぴりし出してそれが宗太にも伝染して無責任なことは言うもんじゃないと痛感した。
 本当ならできるだけ近寄らないようにすべきだったそんなときに孝太の部屋に行ったのは、いやがらせのように重なった大量の宿題を孝太に手伝わせようと思ったからだった。出てきた孝太を見てこんなときに宿題を手伝ってもらおうとしたことを後悔した。もの凄く。
 宗太も来ていて、二人とも何か言うわけでもなくて(だから余計つらかった)、ひたすらあらぬ方向を睨みつけていた。
 その後も宗太はパーカーの紐を編んだり解いたりを繰り返し、孝太は枕に頭を打ちつけ始め動かなくなったと思ったらあーとかうーとか変な声を出していた。
 下手に動いたら何されるかわからなかったから二人が落ち着くまで、いつもみたいに絡まれるほうがまだましだとうっかり思うくらいとんでもなく居心地が悪い空間で宿題を片づける羽目になった。
 回れ右で帰ろうとした俺をほとんど無理やり部屋に上げた孝太がその日俺に発したのは「もう帰れば」という一言だけだった。一発くらい殴っとくべきだったか。
 二人の惚気なのか愚痴なのかよくわからん話に付き合わされるのは、二人ともこっぴどくふられでもしない限りなくなりそうにないから諦めてるけど、さすがにこんな状態がいつまでも続くのは耐えられない。とにかくせめてこの宙ぶらりんな状況だけはどうにかしたくて次の日には坂口伊織にまた余計なことを言いに行って、二人がいつも以上におかしかった理由を知った。
 孝太も宗太もかなり坂口伊織に構っていたし宗太の絵も見せたとか言ってたから、はっきり言葉にしてなくてもてっきり坂口伊織に二人の気持はとっくに伝わっていると思い込んでいたけど坂口伊織は何もわかってなかった。
 坂口伊織は周りが見えていない。見ようとしない。だから余計にややこしくなる。でも坂口伊織も宗太と孝太のせいでこんな面倒なことに巻き込まれただけだと思うと同情せずにはいられない。
 話すとやっぱり何か苛々するけどあの二人をあそこまでへこませられるのは純粋に凄いと思う。どんな神経してるのか、学校一怖い先生に雷落とされても平気な顔してたのは宗太と孝太くらいだったなとか関係ないことを考えていたらできれば思い出したくなかったことを芋蔓式に思い出して、坂口伊織も知りたがってたから二人のことをちょっとだけ話した。
 このことは二人には黙ってたけどやっぱりばれてて全部白状させられて、結果的にうまくいったとかで孝太がやけに気合いの入った手料理をふるまってくれた。

 坂口伊織はどっちかを選ばなかった。それとも選べなかったのか、とにかく二人を受け入れたらしい。
 二人から聞かされたときはそんなのありかと思った。考えたことがないわけじゃなかったけど俺が無意識のうちに選択肢から抜かしていた結果で、やっぱこいつらなら何でもありなのかと思った。
 何か納得いかない気もするけど最悪の結果にならなかっただけでもよかったと思うしかない。
 兄弟なんて大人になれば疎遠になるものかもしれない。宗太と孝太だって今までが仲がよすぎたくらいで、少し距離を置くくらいが本当はちょうどいい。でもおじさんもおばさんも啓太も俺も、昔の二人に戻ってほしかった。幸せの象徴だから、はさすがに言いすぎか。
 どういうわけか坂口伊織の存在がその願いを叶えてくれたのは確かで、叶ったら叶ったでこの二人はやっぱり一緒にしないほうがいいんじゃないかと思ったりもした。
 最悪の結果は避けられても面倒くさい状況はそのままだと気づいたときは旅に出たくなった。
 どう見ても人付き合いの下手な坂口伊織に、正直俺でも時々きつい二人の相手ができる気がしない。しかも坂口伊織は友達としてじゃなくて、たった一人の相手として二人と付き合わないといけない。あいつらが坂口伊織とどういう付き合い方をするつもりなのか知らないけど、一対一の関係じゃない上にたとえ一対一でも坂口伊織のあの性格じゃ普通の恋人関係を築くのも難しい気がする。というか想像できない。
「あー、そうだ、忘れないうちに一応言っとく」
 孝太の手料理を腹に詰め込めるだけ詰め込んだ後、俺は宗太と孝太にさり気なく釘を刺しておく。
「何」
 宗太はベッドで横になりながら見ていた雑誌から顔を上げた。ぼんやり天井を見上げていた孝太も俺に視線を向ける。
「俺は坂口伊織に特別な感情は抱かない。正直あんま好きじゃない。お前らのことがなかったら関わることはないし気にも留めない。その程度の存在だから」
「だから?」
 孝太が頬杖をつきながら訊く。
「だから間違っても変な勘違いするなよ」
「頭ではわかってても、ってこともある」
 宗太はさらっと恐ろしいことを言うとまた雑誌のページを捲り始めた。
「だったら最初から俺を巻き込むな」
「俺たちが何にもしなくても渉は余計なことするだろ。お節介だから」
 孝太は俺が食い散らかした跡を片づけ始める。
「わかってて俺に話したのはどこの誰だよ」
 話すだけならまだしも、俺が下手に迷わないようにわざわざ二人に絡まれるからという理由まで丁寧に作りやがった。
 わかってて好奇心に負けた俺も俺だけど。
「俺の座右の銘、『触らぬ神に祟りなし』なんだよ」
「自覚してんのにそれか」
 ほとんど独り言だった俺の呟きを宗太は雑誌に視線を落したまま鼻で笑った。
 この性分が簡単には変えられそうにないことは随分前に悟った。
「そういや小学校のとき作文にも書いてたな」
「作文?」
 孝太はもっとはっきり笑いながら頷いた。
「『ぼくには神宗太郎くんと神孝太郎くんという友達がいます。ぼくはこの二人といるとよくつらい思いをします。この間お母さんに触らぬ神に祟りなしという言葉を教えてもらいました。字が一緒だから触らぬじんに祟りなしでもいいと思いました。ぼくは二人と友達をやめたらきっと幸せな人生を送れると思います。この間も二人と――』」
「だああああ! やめろ!」
 孝太が俺が昔書いた作文のことを言っているらしいと気づいて慌てて孝太の口を塞いで何とか黙らせる。
「思い出した?」
「だ、だからなんでそんなのをいちいち覚えてるんだよ! つか絶対今適当に作っただろ!」
 怒鳴りながら何年か前の大掃除のときに部屋の押入れから出てきた作文の束にそんな感じのがあったのを思い出した。一字一句同じだったかは覚えてないけど。
「昔から俺たちに関わるとろくなことにならないってよくわかってるのに、相変わらず首突っ込んでくんだもん」
 孝太はまたのどの奥で笑う。
「渉は『情けは人のためならず』のほうが合ってるんじゃない?」
 孝太の提案に、そっちのほうが前向きでいいかもと頷きかけて、いやいやと首を横に振る。
 前向きになっても俺が宗太と孝太に酷い目に遭わされることに変わりはない。開き直ったら二人にますますいいように利用されるだけだ。
 いつか身を滅ぼしそうなこの厄介な性分は手遅れになる前にどうにかしないと絶対まずい。

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