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 不可避01

 教室でお弁当を食べるときは周りを見ない。音は聞こえてしまうけど、お弁当だけに集中する。冷凍食品ばかりのおかず。昨日の夜はシチューだったからお弁当のおかずにはできなかった。
 食べ終わってお弁当はリュックにしまった。周りの音が大きくなった気がした。
 トイレに行きたいけど動けない。さっきからずっと背中に視線を感じる気がする。
 今日後ろの席に座っているのは神くんじゃない。
 朝、駅を出たところで会っていつものように「はよ」って言われたけど神くんじゃなかった。宗太郎さんだった。びっくりした。
 クラスの人は誰も神くんじゃないって気がつかない。前に一度だけ宗太郎さんが神くんのふりをして学校に来たときは、わたしもまだ宗太郎さんのことを知らなくて違和感はあったけどそれだけだった。
 溝口先生は出席を取るときに神くんを見て一瞬不思議そうな顔をしたけど何も言わなかった。休み時間に遊びに来たつんつん頭は一言二言挨拶を交わしてすぐに気づいて、驚いてから呆れていた。
 背中がむずむずする。
 神くんとわたしの席が逆だったらいいのにっていつも思う。わたしが後ろだったら好きなだけ神くんのことを見られた。今だって宗太郎さんを見ていられた。
 いつも神くんに見られているような感じがするのはただの自意識過剰。神くんに見られているって思ってどきどきする。今もそれと同じ。でも感じる。何でも射抜くように見るあの目で見られているところを想像してしまう。
 宗太郎さんが立ち上がった気配がした。前に来る。わたしの横で立ち止まる。なんで。
「坂口さん」
 宗太郎さんの声で呼ばれてぞくっとした。
「ちょっと、いい?」
 眼鏡を外して制服を着て神くんのふりをしている宗太郎さん。変な感じ。コンタクト、してるのかな。首を横に振ったら低い声で「来い」って言われた。やっぱり宗太郎さんだった。
 宗太郎さんの後を少し離れてついて行く。階段を上って渡り廊下を通って左側すぐの突き当たり。宗太郎さんは美術室の前で止まった。
 戸は開いていて、中には誰もいないみたいだった。宗太郎さんはわたしを振り返ってから中に入った。少し迷ってからわたしも入る。何となく後ろを見たら廊下に人影が見えて、悪いことをしているわけでもないのに慌てて戸を閉めた。神くん(のふりをした宗太郎さん)と一緒にいるところを誰かに見られたくない。
 入り口のところに立ったまま、わたしは床を見る。目の前には宗太郎さん。心臓が痛い。神くんはどうしたのかなとか、どうして宗太郎さんが学校に来たのかなとか、美術室に何かあるのかなとか、宗太郎さんに訊いてみたかったけど言葉が出てこなかった。
「欲しくなったから」
 宗太郎さんの言葉はいつも唐突な感じがする。今のは多分、宗太郎さんが学校に来た理由。何が欲しくなったんだろう。学校で売ってるパン?
「苛々するからその馬鹿面やめろ」
 変な顔になったのは宗太郎さんがちゃんと言ってくれないからです。心の中でこっそり言い返した。
 宗太郎さんはそのまま黙って、わたしも何も言わなかった。視線、やっぱり感じる。見られてる気がする。宗太郎さんに見られてる。床に落とした視線を上げられない。どうしよう。
 宗太郎さんは今何を考えているの。
「あれ、誰かいる?」
 いきなり声がしてびっくりして顔を上げた。
「神? と、坂口か。何、こんなところで逢い引き?」
 準備室から出てきたのは原田先生だった。前から何となく思っていたけどやっぱり原田先生は苦手だ。
 宗太郎さんと一緒にいるところを見られて変なことを言われてどうしようって思ったのに、宗太郎さんは神くんのふりのまま平然としていた。
「すみません。先生がいたのに気がつかなくて」
 あ、凄い。神くんの顔だ。
「いやいや、俺のことは気にしないで。今からちょっと出るところだし。でも昼休みが終わるまでには戻ってくるしここ一応学校だからキスまでにしてね」
 何言ってるの先生。
「そうします」
 宗太郎さんも先生に変な勘違いされてるのにどうしてそんな平気な顔をしていられるの。
「じゃあ、ほどほどに」
 準備室に戻ろうとした原田先生が足を止めて振り返った。
「宗太郎はどうなったの?」
 神くんの顔が崩れた。宗太郎さんの眉間にしわが寄る。
「ご想像にお任せします」
 原田先生は小さく笑った。
「あーあ、お前もまだまだだなー。宗太郎に戻ってる。弟だったらそこは笑顔で返すところだろ。今回は見逃すけど、次やったらたっぷり説教するから」
「次は気づかれないようにします」
「生意気なことばっか言ってるとまたあれこれ訊いちゃうよ」
 笑いながら準備室に消えていった原田先生を見送って、宗太郎さんを見上げた。目が合った。びっくりして下を向いた。
「何か喋れ」
 いきなり思わぬ要求をされて顔はまだ上げられない。何かって、何か。
 さっきの会話。何かおかしかった。原田先生が変なことを言った後。宗太郎はどうなったのって、どういう意味。
(原田先生は知ってる)
 宗太郎さんが一番好きなものにわたしの絵を描いてくれたのは、原田先生の授業でそういう課題が出たから。
 じゃあ神くんのことは? 原田先生は最初から神くんじゃないって気づいてたからあんな言い方をした? それとも、全部知ってる?
 考えたら怖くなった。
 二人とわたしのことを知っているのはつんつん頭と、多分、あの人も知ってる。弟。付き合ってるって勘違いしていた。
 つんつん頭とあの人はどう思っているんだろう。今までちゃんと考えたことなかった。
 つんつん頭は最初からいてよくわからない。普通に受け入れてる気がする。よく怒られるけどそのことで怒られたことはない。
 あの人は、わたしが二人に近づいたこと自体を嫌がっていたけど謝らなくてもいいのに謝ってくれたし、応援、してくれた。
 でもつんつん頭とあの人が特別なだけで、普通はおかしいと思う。わたしだって、おかしいと思うから。
 彼氏とか彼女とかそんなんじゃない。わたしは最低のことをしている。最低のこと。だから知られたらいけないんだ。
「誰にも言わないで」
「何を」
「わたしのこと」
「なんで」
「原田先生、知ってる」
「原田は知らない」
「でも」
「あいつは勝手に想像してちょっかい出してきてるだけだ。本当に知られたくなかったらあいつの前で余計なことは何も言うな」
「……うん、言わ、ない」
「夜の十時」
「うん」
「電話する」
「うん……電話……?」
 今、話が繋がってなかった。
「毎日する」
「毎日、って、なんで」
「足りないから」
「何、が」
「あんたが」
 顔は上げられなくて、宗太郎さんのつま先を見ていた。
 わたしが足りないから毎日電話をする。宗太郎さんが言ったことを頭の中で整理して理解する。もしかして、さっきの「欲しくなったから」も、わたしのこと?
 どうしよう。
(嬉しい)
 緩みそうになった涙腺と口元を誤魔化すために唇を噛む。
 ぎゅって、したい。宗太郎さんを感じたい。
(好き)
「好き」
 あ。
 空気が動いて宗太郎さんの両手に顔を挟まれて無理やり顔を上に向けさせられる。
「今の」
「焼き食べたい。すき焼き」
「…………」
「すき、焼き」
 慌てて溢れてしまった言葉を誤魔化そうとしたけど、失敗した。宗太郎さんの顔がみるみる歪んでいく。怒ってる。
「で?」
「あ、あの、だから、三人で、食べたい、な、と。思って」
 宗太郎さんに顔を押さえられたままで下を向けないから、できるだけ宗太郎さんを見ないようにしながら言った。
 宗太郎さんの手に触れられていると思うだけで、耳まで一気に熱くなる。
 今は気のせいじゃない。確実に見られている。宗太郎さんの目にわたしが映っている。
 神くんも宗太郎さんも、何でも見えてしまっているような目でわたしを見るのに肝心なことは何も見ていない。だからまだ傍にいてくれる。
「今度の土曜日に行く」
「え」
 目が合う。怒ったままの顔だった。
「孝太郎と行くから、用意して待っとけ」
「あ、あり、がと」
「肉は持ってくから」
「う、ん、わかった」
 どうしよう。いつの間にか、本当に一緒にすき焼きを食べる約束をしている。
 電話も毎日するって、宗太郎さんは言った。
 どんどん、容赦なく二人がわたしの世界に入ってくる。
 拒みたいと思うわたしと嬉しいと思うわたし。
 二人の傍にいたいけど二人がいることに慣れてしまうのが怖い。いつか離れていく人たち。ひとりになったらまたあの暗闇が待っている。
「もっと嬉しそうな顔しろ」
「……ごめん」
 涙が溢れそうになるのを堪えていたら怒られた。笑顔、作ろうとしたけどできなかった。
「も、教室、戻る」
「……勝手にすれば」
 手が離れる。本当に、これじゃあいつ見放されてもおかしくない。宗太郎さんに背を向けて戸に手をかける。
 わたしと一緒にいても宗太郎さんは苛々するだけ。神くんも笑顔を向けてくれるけど、心の中でどう思っているかなんてわからない。わたしがわたしでいる限り、全部駄目なままだ。
「あんたも、余計なこと考えすぎ」
「何の、こと」
「それくらいわかってるだろ」
「わからないよ」
 戸を開けて廊下に出た。

 宗太郎さんも神くんも、わたしがいなくなっても何も変わらない。わたしは二人がいなくなったら全部なくなってしまう。
(余計なことじゃない)
 幸せにずっと浸っていたら自惚れて本当の自分をを見失いそうだから。
 それに覚悟、しておかないと怖い。幸せに慣れちゃいけない。苦しいのに慣れなくちゃいけない。
 また落ちる日が来る。それに耐えられるように。

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