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 嘘吐き03

 顔は強張っていないか、声はちゃんと出せているか、そんなことばかり考えていた。

「駄目だよ。こんなの、やっぱりおかしい」
 坂口さんの目が、俺を映して離れていった。ごめんと、今度は俯いたまま。元いたところに戻った坂口さんを追いながら、俺は必死に言葉を探していた。
「何が、おかしいの」
 今のは空耳であってほしいと願いながら。
「二人と、こんなこと、したりするの」
「こんなことってどんなこと」
 自分の感情を隠すのは簡単だ。笑顔を貼り付けていればいい。簡単なことなのに、それだけのことが今はできない。
「だから、あの……キ、ス、とか」
「だから、こっちはとっくに覚悟を決めてるって言っただろうが」
 今にも消えてしまいそうな坂口さんの言葉を押さえ込んだ宗太郎に重ねて、一気に。
「それに、俺は坂口さんが宗太郎を選んだら諦めるつもりだったし、宗太郎も同じつもりでいた。選べなかったのは坂口さんだよ」
 坂口さんが泣きそうになっているのに止められない。
「俺か宗太郎か、今選ぶ? それもできなくて俺たちといるのが嫌なら」
 一瞬迷った。これで壊れたら。でも。坂口さんなら。
「もうやめる? 俺たちから離れる? 坂口さんがそうしたいなら俺たちは止めな」
「やだ!」
 安堵。した。心の底から。坂口さんが、必死に俺の言葉を打ち消してくれたことに。
「そんなの、やだ。できない」
「だったら今まで通りでいいだろ」
「でも、わたしだったら、耐えられないよ。好きな人が他の人と、キ、キス、したりするなんて、嫌だよ」
 宗太郎は溜め息をついて、俺は笑いそうになった。
 今更。
 確かに今の関係はおかしい。
「あのね、俺たちだって平気なわけじゃないよ。でも」
 全部手放してしまうのと、手に入れる代わりに宗太郎と共有するのと、どちらがいいか比べるまでもない。
 坂口さんの頭に手を置いて、とどめを。
「坂口さんが一人を選べなくてどっちもって言うんなら、俺たちには諦める理由はないし諦められない。俺が諦められるのは、坂口さんが宗太郎を選ぶか、どっちも嫌だって言うときだけだよ」

 坂口さんには笑顔を見せながら、心にもないことを。

 ――坂口さんに選んでもらえば、どうにかなるんじゃないかと思って。
 真夜中の電話で坂口さんに一歩近づけたあの日も、今も、嘘を吐いた。
 どうにかなるなんて、少しも思っていなかった。最初から。
 馬鹿な勘違いをしていた宗太郎は身を引くつもりでいたけれど、所詮綺麗事にすぎない。俺には無理だから、宗太郎にも無理。
 いつもひとりで人に飢えていた坂口さんが、目の前に差し出された二つの手をどちらも拒むことはそもそも考えられなかったし俺は坂口さんが宗太郎を選んでも諦めるつもりはなかった。諦められるわけがなかった。
 だから坂口さんが選べなかったことは関係ない。俺たちにとっては都合がよかった。それだけのこと。
 全てを押し付けて離れていってしまうか、それでも縋ってくれるか。ある意味賭けだったけれど坂口さんは必死に縋ってくれた。
 俺たちしかいないから。いつか宗太郎が言ったことを、不安になる度に自分に言い聞かせる。
 どこかに閉じ込めておかないといけないと、時々本気で思う。狭い世界に閉じ込めて、俺たち以外の誰にも触れさせないで。そうすれば坂口さんはどこにも行かない。どこにも行けない。



 部屋に一人残され覚えるのは自己嫌悪。
 ごめん、なんて。謝ってどうにかなるものではないのに謝らずにはいられなかった。
 坂口さんには俺が本当はどういう人間なのか知られたくない。坂口さんが俺に失望するところなんて、見たくない。



「孝太郎」
 不意に名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間に戻ったのか宗太郎がふすまを開けて立っていた。随分機嫌がよさそうだから、坂口さんと何かあったのだろう。坂口さんとのことで隠し事はしない。最初に決めた意味のないルール。いちいち何があったとは言わないけれど、お互い何かあれば嫌でも気づく。
「余計なこと、考えすぎ」
「ん、わかってる」
「あれは、本当に馬鹿だから考えるだけ無駄だ」
 坂口さんが座っていたところに腰を下ろした宗太郎の左手が伸びてきて、頬を引っ張られた。
「よく回る口だな」
「だったらお前が代わりに言え」
「別に、本当のことを言えばいいだけだろ」
「坂口さんには重い」
 坂口さんなら、全部受け止めてくれるかもしれないと思う一方で、こんな気持ちは知られたくないと思う。自分でも異常だと思わずにはいられないこんな気持ちは。
「普通はひくかもしんないけど、あれは」
「俺は、宗太郎みたいに何でも見せられるわけじゃない」
「……だから、考えすぎなんだよお前は」
 人間は考える葦だと言ったのは誰だったか。
 昔は自分のことばかり考えていた。今もその頃と大して変わっていない。嘘を吐いたのも自分のため。坂口さんのことを考えても辿り着くのは保身。最低だ。
「あ」
「何」
「……いや、どうして今まで気づかなかったんだろうと思って」
 坂口さんは殻の中にいる。踏み込めないもどかしさを感じていた。でも、俺だって本心は隠して壁を作っている。本当の自分を奥にしまい込んでいる俺に、坂口さんが心を開いてくれるはずがなかった。
 一度吐いた嘘も、なかったことにはできない。ずっと吐き通すこともきっとできない。少しずつ綻び、いつかは。

 初めから歪んだ関係。見えない壁。自分のために吐いていく、いつかは壊れる嘘。今はあっても先は見えない。足場は思っていたよりずっと脆い。

 今はまだいい。坂口さんには俺たちしかいないから。
 坂口さんが俺たちを必死に繋ぎ止めようとするのは他に誰もいないから。俺たち以外の誰かを見つけたら、こんな面倒な関係を続ける理由もなくなる。
「もし、坂口さんが俺たち以外の誰かを見つけたら」
 本気で、俺たちから離れたいと願ったら。俺たちには離すつもりは少しもない。だからきっと逃がさないように坂口さんに酷いことでも何でもするだろう。
「他の男なんか目に入らなくなるくらい、いい男になれば」
 面倒くさそうに言った宗太郎は、そのまま立ち上がる。
「だったら、俺はお前よりもいい男になるよ」
「好きにすれば。あれはこれからもどっちかを選ぶことはできない」
 とてもやさしい人。選択肢は二人とも受け入れるか二人とも突き放すかの二つだけ。
 部屋を出ようとふすまに手をかけたところで、宗太郎は何かを思い出したように動きを止めて振り返った。
「孝太郎」
「何」
「隠してもあれはいつか見つける。でも、それで離れていったりはしない」
 何もかもわかったような口調。苛立つのと同時に、少しだけ救われた。

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