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「浩行さん、そのへんでストップです」
真っ白になりかけた頭の中に、ドアの開く音とアキちゃんの声が響いた。
11.繋がる
「茜ちゃん、大丈夫?」
目の前に大きな瞳。
「アキ、ちゃん」
渇いた喉から声が漏れ、あたしはアキちゃんに肩を抱かれて起き上がった。クソ兄貴はベッドの横に立っていた。外していた眼鏡はかけて。
「ごめんね。僕がいけなかった。茜ちゃんと浩行さんを二人きりにして」
「う、ん?」
まだうまく働かない頭で聞き返す。
「浩行さんは一応大人だから、ちゃんと分別はつくと思ったんだけど」
アキちゃんはそう言ってクソ兄貴に顔を向けた。
「アキが俺を呼んだんだろ」
「こんなことさせるために呼んだんじゃありません」
それからまたアキちゃんの瞳があたしを捉える。
「大丈夫?」
何がと訊こうとして、震えている自分に気がついた。
さっきまで、クソ兄貴の顔が目の前にあって、唇に、何かが当たっていて。
それは多分、クソ兄貴の唇で。
それは多分、世間一般で言う、キスという行為で。
あたしはクソ兄貴と。
「何で」
顔に血が上るのが自分でもわかった。
あたしの肩を抱いていてくれるアキちゃんのセーターの胸元を掴んだ。
「さ、最低。人のファーストキスを」
「別に初めてじゃねえだろ」
「お兄ちゃんはそうでもあたしは!」
「てめえもだ」
腕組んで偉そうにあたしを見下ろしてくる最低な人。
「昔腐るほどしてやっただろ」
「そ、それは小さい頃の話でしょ! あたしが言ってるのはちゃんと好きな人とのキスのことで」
大体絶対に腐るほどなんてしてない。
唇に、感触が残ってて気持ち悪い。手でこすっても取れない。
「アキ、いい加減手、どけろ」
また無視するし。
「茜が嫌だって言っても」
クソ兄貴に左腕を掴まれて、アキちゃんから引き離されて、あたしの体が一瞬浮く。
「もう放さないからな」
クソ兄貴に抱きしめられた。苦しくて息ができないくらいに強く。
知らない匂いが鼻腔に広がる。でもどこか懐かしくて。
「これからは一緒にいてやるって言ってんだから、もっと嬉しがれ」
頭、撫でられて気持ちいいと思ってしまったのは仕方がなくても、一緒にいるって言われて嬉しいと思ってしまったのは、一生の不覚だ。
今までの仕打ちを忘れたのか、あたし。
「は、放してよ」
力がうまく入らなくて結局抱きしめられたまま、あたしは考える。
キス、したり、愛してやるとか、そういうこと言ったり、本心なのかよくわからない。
お兄ちゃんという存在が、昔は当たり前だった。当たり前すぎていなくなることなんて考えられなかった。
それなのに急にあたしの前から消えたクソ兄貴。
あのとき、あたしが本当はどんな気持ちだったかなんて知らないくせに、自分勝手に人の気持ちを振り回して。
別に、悲しかったとかそういうわけじゃない。それまでずっといた人が、いきなりいなくなってしまって、ショックだったんだ。それだけだ。
「お兄ちゃんなんて大嫌いだ」
「大好きの間違いだろ」
うまく言い返せなくて悔しかったから、垂れてきた鼻水と涙をクソ兄貴の背広にこすり付けてやった。
「もっと素直になれねえのか、てめえは」
「浩行さんもね」
近くでアキちゃんの声がして、自分の状況を思い切り意識してしまった。
クソ兄貴に抱きしめられてるなんて。
それでも、頭を撫でらるのが妙に心地好くて、しばらくこのままでもいいかもしれないと思った。
気がついたらあたしは、冬の夜道をクソ兄貴と二人で歩いていた。
手を繋いで。
心臓、ドキドキ。するのか、クソ兄貴に。
繋いだ右手、指までしっかり絡み合って、まるで恋人同士みたいに。
隣を歩くクソ兄貴の横顔を見上げる。
やっぱり悔しいけど、なかなか綺麗な横顔をしていると思う。クソ兄貴と同じ血が入っていたら、あたしももう少し美人になれたんだろうか。
そのまましばらく見ていたら、いきなりクソ兄貴があたしのほうに顔を向けた。
「何だよ」
「べ、別に何でも」
とっさに目を逸らす。
「……籍、早いうちに入れるぞ」
「あ、うん」
うっかり返事をして、足が止まる。手を繋いでいるからクソ兄貴も立ち止まる。
「茜?」
「籍って、何の籍さ」
「んなもん一つしかねえだろ」
「……け、結婚って言うのは普通好きな人とするもので」
「キスだけじゃわかんねえなら、それ以上のことをしてやってもいいけど?」
「あ、あたしのこと好きならはっきりそう言えば?」
街灯の少ない細い道だから、顔が赤くなってるのは多分ばれない。声が震えたのはわかってしまったかもしれないけど。
「これから、今までの分まで愛してやるって言っただろうが」
何度もそういうこと言って恥ずかしくないのか、この人は。
あたしは足を止める。
あたしと手を繋いでいるクソ兄貴も立ち止まる。
よくわからないこの状況。寒いけど熱い。
あたしはうっかり口を滑らせて。
「だったら、もう少しだけ、お兄ちゃんでいて」
お兄ちゃんらしく甘えさせてとまではさすがに言わなかったけど。
クソ兄貴の顔を見られるわけもなく、ただ何も言われなかったからあたしはまた歩き出した。
手を繋いだまま。
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