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「宇野さん、献血は好き?」
 理事長の甥というコネで産休の先生の代わりに臨時の保健室の先生の座(それも女子校の)に収まった柴崎保(二十五歳独身、野菜嫌い)が、至って真面目な顔で訊いてきた。


  告白


「痛いのは苦手です」
 体育の授業が始まってすぐに具合が悪くなり保健室のベッドで横になって休んでいた普通の高校生の私は、横になったまま至って真面目な顔で答えた。
「ああ、針刺すもんねえ。痛くなかったら別にいい?」
「まあ、人の役に立つことですし」
「じゃあさあ、僕に宇野さんの血を吸わせてくれない?」
「蚊ですか」
「吸血鬼です」
「それよりも先生、カーテン閉めてもらえますか」
 ベッドの周りにひいてあるカーテンの間から顔だけ覗かせていた先生は、ああ、と頷き、何を勘違いしたのかカーテンのこっち側に入ってきてベッドの横にあった丸椅子にどっかりと腰を下ろした。
「……一人にしてほしかったんですけど」
「それで続きなんだけどね」
 都合の悪いことは聞こえない耳を持っているらしい先生は勝手に続けた。
「実は僕、吸血鬼なんだよ」
「先生、仮にも保健室の先生やってるならもう少し体調の悪い生徒のことを気遣ってください」
「あれ、仮病じゃなかったの?」
 私は先生に背中を向ける。
 病弱というわけではないけれど、不注意や不摂生のせいで先生に常連と認識される程度に保健室のお世話になっている私は、一度だけ仮病を使ったことがある。あのときは気づかないふりをして受け入れてくれるくらい気が利く先生だったし、確かに前から妙なことを口走ることが時々あったけれど普段はもっと生徒の体調の変化には敏感ないい先生だったはずなのに。
「それでね、僕は吸血鬼なんだ」
 あくまでも先生はそれにこだわるらしい。仕方なく私も付き合ってあげることにした。毛布の中でもぞもぞ動いて先生のほうを向いてあげると、先生は年のわりに幼く見える笑顔を浮かべてからもう一度表情を引き締めた。
「僕が生きていくためには愛する人の血を吸わないといけないんだ」
 大真面目な顔でちっとも真面目じゃない話をされた場合はどう反応したらいいのだろう。
「吸血鬼の先生がどうしてこんなところで先生なんかしてるんですか」
 とりあえず浮かんだ疑問を口にしてみる。
「それは運命の人と巡り合うため、というかつっこんでほしいのはそこじゃないんだけどなあ」
 熱はないはずなのに顔が熱い。先生の後ろの、ちゃんと閉まっていないカーテンの隙間から窓の外の寒そうな裸の木が見える。あの木になりたい。
「僕はあくまで臨時の先生なので、いつまでもここにいるわけじゃないし宇野さんだってもうすぐ卒業しちゃうわけだし、そろそろ伝えておかないとなーと思ったわけなのですよ。一応仕事中なのにこういうのはどうかとも思ったんだけど滅多にない二人きりのチャンスは逃せなくて」
 ぼそぼそと、先生は一人で話を続ける。私は裸の木を見ながら毛布を鼻のあたりまで引っ張った。
「私、バカなので遠回しな言い方だとわかりません。あと、うそつきは嫌いです」
「うそつきは認めるけど、急がば回れって言うじゃない」
「それ、意味が違うと思います」
「でも宇野さんだってうそつき。本当は僕の気持ち、十分伝わってるよね。君の気持ちも聞かせてほしい」
 そんなに真剣な目で見つめないでください。
 声が震えてしまいそうだったからその言葉は飲み込んで、先生に気づかれないように何度か深呼吸した。わけのわからない感情でいっぱいになってしまった頭はそのままだったけれど声が震えそうになるのは何とか止められた。
「吸血鬼の先生は嫌です」
 む、と先生は唸った。
「じゃあ吸血鬼はやめて人間に戻ります」
 真面目な顔して本当に何を言っているんだろう、この人は。
 頭痛と吐き気がひどくなってきたのを感じた。ついでに何故か涙まで出てきそうになって、これ以上は無理だと私は再び先生に背中を向けた。
「体調が悪いのをわかってくれない先生も嫌です」
「じゃあ、君が元気になったら今と同じ話をもう一度するよ」
「そのときはもっと短くお願いします。あと自覚してるみたいですけど仕事中にこういうのは私もどうかと思います」
 そもそも仕事中とか関係なく先生が生徒にする話ではないけれど。
 私は先生に背中を向けたまま、毛布を頭までかぶって目を閉じて耳をふさいだ。
 元気なときでもこんな状況耐えられそうにない。


あとがき


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