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 三男の団らんの過ごし方

 こんにちは、神啓太郎です。
 土曜日の夜、僕は夕食を食べ終え綺麗に片づいたテーブルの上に父が置いた四角い缶を、わくわくしながら見つめていました。僕の向かいでは母がにこにこと幸せそうな顔で隣の父の手元、ではなく父の顔を見つめていました。僕の右隣では上の兄がいつもに増して不機嫌そうな顔で頬杖を突きながらどこか遠くに目をやっています。本当なら下の兄もこの場にいるはずでしたが急にアルバイトの予定が入ったとさっき電話があったらしく父がとても残念がっていました。
 カメラが趣味の父は、本人曰く写真を撮るのももちろん好きだけれど何よりも撮った写真を家族で見るのが好きだとかで、昔から時々家族全員強制参加の観賞会を開いていました。
 兄たちが荒れていた時期はさすがに父も自粛していましたが、その後再開してまた時々家族を集めるようになりました。
 今日もこれからその観賞会が開かれるわけですがいつもとは少し違います。今日は、ネガごとずっと行方不明になっていた十年以上も前の写真の初お披露目の日なのです(後日、下の兄ためにもう一度同じ観賞会が開かれることも父の中では確定しているようです)。
「まさかあんなところにあるなんて思わなかったなあ」
 父は、元はクッキーが入っていたと思われる四角い缶の茶色いふたを撫でながら感慨深そうに言いました。母もにこにこしながら頷いています。ちなみにあんなところがどんなところなのかは訊いても何故か教えてくれませんでした。
「どうでもいいから早くして」
 上の兄が頬杖を突いていない左手の指先で催促するようにテーブルをとんとん叩きました。不機嫌な態度を隠そうともしない上の兄はそれでもちゃんとこの場にいてくれます。
「僕も早く見たい」
 自分が写っている写真を見るのは少し苦手ですが、これから見るのは十年以上も前の写真です。小さい頃の写真はあまり今の自分と結びつかないので平気です。
「そんなに見たいのか! 仕方がないなあ」
 父はこれ以上ないくらい表情をだらしなく緩めました。兄たちに似て(正確には兄たちが父に似たのですが)派手さはないものの黙っていれば僕の父親だとは思えないような男前だと我が親のことながら僕は密かに思っているのですが、二枚目の見た目とは程遠い三枚目の言動が全てを台無しにしています。
「じゃじゃーん!」
 缶をテーブルの中央に押し出し、父は得意気にふたを開けました。母と僕は身を乗り出して中を覗き込みます。缶いっぱいに写真が詰まっていました。
「宗太郎たちが五歳で啓太郎が二歳のときの。夏休みの間にいっぱい撮ったのに、みんなに見せる前になくなっちゃったから見つかって本当に嬉しい。もう駄目だと思ってた」
 母が懐かしそうに目を細めながら写真を数枚手に取りました。
「昔の写真見るの久しぶりだね。ふふ、みんなちっちゃくて可愛い。啓ちゃんまだおむつしてる」
「宗太郎は昔から笑ってるところをなかなか撮れなかったなあ。孝太郎は孝太郎で隙がなさすぎて怖いし。この年にしてどういう顔をすればどう写るかってのを心得ているんだよな、これ」
 僕も手を伸ばし缶の中から写真を取って見てみました。どこかの公園でしょうか。一枚目はベンチに座った母と母に抱かれている僕、その両側に兄たちが座っている写真でした。二人とも似たような服を着て上の兄もまだ眼鏡をかけていないため、今以上に同じ顔に見えますが表情が全然違うのでどっちがどっちなのかはすぐにわかりました。
 その後は何枚か僕、ではなく僕を抱いている母の写真が続きました。昔は写真を撮られるのが苦手だったらしい母はこの頃からすでに諦めて父の好きなようにさせているようです。僕も似たようなもので上の兄だけがいまだに父に抵抗しています。
 同じベンチで家族五人で写っている写真もありました。無理矢理父の膝に乗せられたと思われる兄たち(特に上の兄の嫌そうな顔)が何だか笑えます。
 今よりも若い父を見ると兄たちはやっぱり父に似たのだということがよくわかります。僕は、見た目はどちらかといえば母よりも父に似ているかもしれないという程度で、僕も父の血を濃く継いでいたらもっと違う人生を送っていたのかと想像することが時々あります。
 そんなことを考えながら一枚一枚順に写真を見ていると父と母が二人だけで写っている写真が出てきました。僕は兄たちと一緒にいるのかそこには写っていません。父に肩を抱き寄せられた母は少し恥ずかしそうに笑っています。枚数こそ少ないものの、父と母のツーショットはどの時期に撮った写真にも必ずまじっていました。
 撮られるのが苦手だったはずの母の写真は兄たちや僕の写真よりももしかしたら多いかもしれません。母が恐らくファインダーを覗いている父に向けている眼差しも、常に何よりも雄弁に父への気持ちを物語っています。両親のなれそめを詳しく聞いたことはありませんがとても好き合って結婚したのだろうということはそれだけでもよくわかりました。二人の視線や何気ないしぐさも、それが今も続いていることを知るには十分です。
 もし兄たちがそういうところも父によく似ていたとしたら坂口さんのことで僕が余計な心配をする必要はなくなるかもしれないと思いかけましたが、二人とも彼女を好きだということに変わりはなくむしろ父に似ていたほうが深みにはまっていってしまうように思えて、結局僕は余計な心配をするのです。
「あ」
 突然僕の手から父と母の写真が消えました。犯人は上の兄でした。上の兄は僕の手から取った写真を僅かに見やるとそのまま流れるような動作で父のほうに飛ばしました。写真は他の写真を母と一緒に見ていた父の手にぶつかりテーブルの上に落ちました。
「ん?」
 その写真を拾い上げた父の顔に笑みが広がりました。兄たちや僕に向けるのとは少し違う、母にだけ向けられる笑顔です。
「恵美子、見て」
 父に写真を見せられた母の顔が赤くなっていくのが僕から見てもわかりました。
「……改めて見るとやっぱり恥ずかしいけど、太郎さんが私の隣にいてくれてるんだなって凄く実感する」
「写真がないと実感しない?」
「そ、そういう意味じゃなくて、ね」
 これ以上見ているのは危険だとどこかで感じ取った僕は手元の写真に視線を戻しました。仲がいいのはいいことですが数年前に僕も、主に父がかなり際どいことを息子の前でも平然と言っていたという事実に気づいてしまいました。その度に母が真っ赤になったり怒ったりする理由もわかりました。きっと目の前で両親がキスをしても動揺しないでいられるであろう兄たちと違って、意味を理解できるようになってしまった僕はそういう気配を察知したらその場からさり気なく逃げるか必死に聞こえないふりをするしかありません。
 持っていた写真には全部目を通したので僕は缶の中からさらに写真を取り出しました。どれも同じ公園で撮ったのでしょうか。遊具や風景は見慣れないもので、近所の公園とは違う公園のようです。
 小さい兄たちに改めて妙な感動を覚えながら次々に写真を見ていた僕は、一枚の写真で思わず手を止めました。
 砂場の近くで兄たちが並んで立っている写真でした。それだけなら何でもない写真でしたが兄たちの間に何でもなくないものが写っていました。女の子です。兄たちと同じくらいの年に見えます。おかっぱ頭でよく日に焼けた、真っ赤な頬が印象的な女の子が無愛想な上の兄と、子供にしては綺麗すぎる笑顔の下の兄に挟まれて無邪気に笑っているのです。しかもその両手は兄たちにしっかりと握られていました。
「宗兄、これ――」
 上の兄に見せようとした途端、僕の手から再び写真が消えました。
「これ誰」
 僕が訊きたかったことを上の兄が父に僕から奪った写真を見せて訊きました。
「ん? ああ、この子」
「多分、近所の子じゃないかな。いつもは行かないちょっと遠くの公園だったんだけど、いつの間にか宗ちゃんたちといて、太郎さんが気づいて写真を撮った後すぐに行っちゃったからどこの子かは結局わからなくて」
 母が写真を見て上の兄に答え、父もそれに頷きました。
「そうそう、珍しかったからよく覚えてる。宗太郎と孝太郎って、幼稚園に行くようになってからはちょっとはましになったけど、それでも基本的に間に他人を入れようとしない子供だったのに手まで繋いでさ。誰かと一緒に来てたみたいで、その子が戻ろうとしたのにお前たちが離そうとしなくて泣き出しちゃったから、恵美子と一緒に何とか引き離したら逃げるように行っちゃったんだよ。そうしたら今度は宗太郎と孝太郎が泣き出しちゃって大変だったんだぞ。つられたのか啓太郎まで泣いて」
 兄たちが泣いていたら父ならカメラを向けたがるはずですがその写真は見当たらないので父の言う通りそんな余裕もないくらい大変だったのでしょう。
「そんなの、覚えてない。俺も孝太郎も」 
 小さい頃のことなんて覚えていなくてもおかしくないとは、父も母も言いません。どこまで覚えているのかは僕にはわかりませんが少なくとも五歳の頃の、両親の印象にも残るような出来事なら兄たちは確実に覚えているはずです。
「もしかしたらあれかもなあ」
 父が記憶を辿るように言いました。
「確かこの日じゃなかったっけ。二人揃って熱出したの。覚えてないのはそのせいじゃない?」
 父が缶の中を探って一枚の写真を僕たちに見せました。
「ほら」
 そこには二人一緒に真っ赤な顔で苦しそうに寝ている兄たちが写っていました。
「双子って面白いってはしゃいでたら君に怒られた」
 父は母を見ました。
 記憶にはなくても僕にもその光景は簡単に想像できました。
「だって宗ちゃんたちが熱で苦しんでるのに太郎さんってば――」
 父と母はそのまま思い出話に花を咲かせ始めました。
 上の兄は写真を凝視しています。僕も横からその写真を覗き込みました。
 確かに、今まで見た写真を思い返すと兄たちが見知らぬ女の子と手を繋いでいる写真はありえないと言ってもいいくらい珍しい写真です。本来なら僕ももっと驚いたり兄たちを取られたような些細な嫉妬心を覚えたりするところですが不思議とそうなりません。兄たちと見知らぬ女の子という違和感があるはずの組み合わせは、何故か違和感なく写真の中に納まっているのです。
「本当にどこの子なんだろうね」
 この公園に行けばまた会えるのでしょうか。この女の子が今はどんなふうに成長しているのか、今兄たちと再会したらどうなるのか見てみたいような気もしますが兄たちにはすでに特別な人がいます。ただでさえ面倒な関係なのにさらにこじれてしまうかもしれません。それに坂口さんがもしこの女の子の存在を知ったらどう思うのでしょう。
 そこまで考えて、やっと気づきました。この女の子にはどこかあの人の面影があるのです。
「伊織」
 上の兄が呟くようにその名前を口にしました。
「あ、やっぱり、似てるよね」
 写真の中の女の子は今のあの人が見せるところは想像できないような満面の笑みを浮かべていたのですぐに結びつきませんでした。
「似てるんじゃなくて、本人」
 静かな声は断言しました。僕には見えないものを見ている人です。上の兄がそう言うのなら、そうなのでしょう。
 僕はもう一度写真を覗き込みました。不思議な感動が沸々と湧き上がってくるのを感じます。
「何か、凄いね」
 普通ではない関係でも続けようとする相手と、兄たちはこんなに小さなときに出会って、そしてしっかりと掴まえているのです。
 兄たちは好まないかもしれませんが運命という言葉が頭を過ぎりました。
「宗兄は、何とも思わない、の?」
 感情が読み取れない横顔を見ながら恐る恐る訊くと、上の兄は写真に目を向けたまま答えました。
「悔しい」
「え?」
 予想していたどの答えとも違って思わず聞き返しました。
「ちゃんと覚えてたら、もっと早くから一緒にいられた」
 ずっと前に出会えていた事実は事実でしかないのでしょうか。
 あの人とのことが必然なのか偶然なのか、兄たちにとってはどうでもいいことなのかもしれません。
「でも、またちゃんと出会えて、一緒にいられるようになってよかったね」
 不意に上の兄の目が僕を捉え、何か変なことを言ってしまったのかと身構えましたがその視線はすぐに写真に戻りました。
 上の兄の綺麗な指先が、写真の中のあの人を愛しそうに撫でるのを見て、父のようにたった一人の人を見つけた兄たちが少し羨ましくなりました。

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