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 三人目のハリー

 ハリーくん、と甘い声で呼ばれておれはいつの間にか丸くなっていた背中を慌てて伸ばした。
「何? メイちゃん」
 保育園時代からずっとハリーと呼ばれてきた。あまりにもみんなが(ときには先生までも)ハリーハリーと呼ぶせいで正直このあだ名はあまり好きではなかった。おれの名前は梁井順であってハリーじゃない。
 でも彼女にハリーくんと呼ばれて初めて、このあだ名が好きになれるかもしれないと思った。
 学校帰りにたまたま一緒になって寄ることになったアイスクリーム屋さん、おれの隣に座ってストロベリーのアイスクリームを舐めているメイちゃんはクラスは違うけど同じ文化祭実行委員で、それがきっかけで仲よくなった。生まれて初めての女の子の友達だ。そして、ハリーくんもいいけどいつか順くんと呼んでもらいたい相手でもある。
 右手に持ったチョコミントのアイスクリームをかじりながらおれはさっきからずれている気がしてならない眼鏡を左手で直す。
「ハリーくんのクラスに、神くんって人、いるよね」
 ふわふわとどこまでも高く飛んでいきそうだった気持ちが、一気に重くなって地面に墜落しそうになった。
「うん、いる、けど」
 同じクラスの神くんを思い浮かべる。留年したとかで本当は先輩らしい神くんは、やっぱり他のクラスメートとはどこか違う。遠藤くんなんかは神くんの隣の席だからか結構話してるみたいだけど、おれはほとんど話したことがない。
「も、もしかしてメイちゃん、神くんのこと」
 思わず最悪の事態を想像して、アイスクリームをすくい取る赤い舌を見つめる。
「違うよー。私じゃなくて友達がね、何か気になってるみたい」
「あ、あーそっか。神くんかっこいいもんね」
 舌を引っ込めて、おれのほうを向いたメイちゃんと目が合った。心の準備ができていなくて反射的に目を逸らしてしまった。そのまま正面のガラスに視線を向けて、ガラスの向こう側の道行く人々を睨むように見つめた。
「うん、だからやっぱり彼女くらいいるよね」
 彼女。なのか、あれは。
 神くんがもてるのはよくわかる。かっこいいし何でもできるし、あれでもてなかったら嘘だ。
 うちのクラスの女子も神くんの噂話をよくしている。双子のお兄さんがいて、その人は中退したらしいとか、坂口さんと付き合っているらしい、とか。
 坂口さんというのは神くんの前の席の人で、とにかく不器用な人だというのがおれの印象だった。
「うちのクラスの坂口さんと付き合ってるって、噂はあるみたいだけど」
「え、坂口さんって、もしかして下の名前は伊織?」
「確かそんな感じだったと思うけど、知ってるの?」
「うん、一年のとき同じクラスだった。え、でも本当に坂口さんと?」
 メイちゃんが驚くのも無理はない。おれも噂話だけだったら絶対に信じなかった。
 家族がみんな早起きのせいか昔からの習慣で学校には早めに行っていた。小・中学校ではいつも一番乗りだった。高校も一年のときは一番乗りだった。二年になってからおれは三番目の男になった。
 いつも通りに誰もいないと思って入った教室に神くんと坂口さんがいた。それもただいただけでなく何か話をしていたらしく坂口さんは慌てて前を向いていて心底驚いた。
 あの光景を見たら噂話が全くのでたらめとは思えない。
 しかもそれはその日だけではなかった。一時期神くんがいないことがあったけれど最近はほぼ毎日、神くんと坂口さんは朝の教室で二人きりの時間を過ごし、おれの登校でそれが終わる。四人目が来るまでの、おれが感じる数分間の気まずさは今でも慣れない。時々神くんにじっと見られているような気がするのは多分気のせいだから気にしないことにしている。
 二人より先に来ることができないわけではないけれど、そうするとおれのせいで完全にあの時間がなくなってしまうということになる。遅く行けば二人の時間は数分伸びるだろうけれど、他の誰かが胃を痛めることになる。それに、二人にとっては特別なはずの時間をおれ以外の誰かに見られるのが嫌だという気持ちがどこかにあった。だからおれは昨日も今日も明日もいつもと同じ時間に家を出るのだ。
「やっぱ意外だよね。何かあの二人全然タイプ違うふうに見えるから」
「うん、意外。坂口さん、一年のときはいつも一人だったし。今は違うのかな?」
「あ、いや、今もそう」
 坂口さんはどうやら友達がいないらしい。神くんと話すのだってほとんど朝のあの時間だけ。それ以外では坂口さんは神くんを避けているようにも見える。
 おれも同性の友達だって多いほうではないけど、友達が何人かいるのと全くいないのとでは全然違うと思う。特に女子は結構きっちりグループが分かれているからどのグループにも入ることができていない坂口さんは余計にきつそうだ。
「メイちゃんは、坂口さんとあんま話したことないの?」
 メイちゃんなら誰とでも仲よくなれそうだしいつも一人でいる坂口さんに声をかけてもおかしくないのに。
「そうだねー、私坂口さんのこと苦手だったし」
 メイちゃんの口からさらりとこぼれた言葉にどきりとする。苦手と嫌いは必ずしも同義ではないしメイちゃんの口調も本当にあっさりしたものだったけれど、メイちゃんの口からそういう言葉が出てきたことが少しショックだった。
「私、結構誰とでも話せるほうだと思ってたんだけど坂口さんは何か駄目だったんだよね」
「ふ、ふーん」
「坂口さんは、苦手な人とそうじゃない人の割合が私とは逆なんだろうなって思う。だから、友達には悪いけどその噂が本当なら嬉しいな。苦手じゃない人にやっと出会えたってことだもんね」
 おれを見てにっこり笑ったメイちゃんはいつも通りのメイちゃんだった。
「付き合ってるかどうかはわかんないけど、仲よさそうに話してるのは見たことあるよ」
「そっかー、うん、やっぱりよかった。それにしてもどういういきさつで仲よくなったんだろう。気になるなー」
 メイちゃんは視線を前方に戻し遠くを見るように言った。
 その横顔をずっと見ていたかったおれは無理やり目を逸らしてアイスにかぶりついた。
「ハリーくんは気にならない?」
「気になると言えば気になる、けど」
 あの二人の接点と言えば席が前後だということくらいしか思い浮かばない。普通だったらそれだけでも仲よくなるきっかけとしては十分かもしれないけど神くんと坂口さんでは何だか足りない気がする。
「だよね。でもそういうのって詮索したらやっぱ駄目かなー」
 誘惑に勝てずにコーンに辿り着いたメイちゃんの口がもごもご動くのを横目で見る。
 もしかしたらこれはメイちゃんにいいところを見せるチャンスかもしれない。
「あ、あのさ、おれ、ちょっと訊いてみようか」
「え?」
 おれの目がメイちゃんの大きな目に捉えられる。今度は逸らさないで済んだ。
「教えてもらえたらラッキーくらいのつもりで、神くんに一回訊いてみるだけなら大丈夫かなって思うんだけど」
「本当? 私は嬉しいけど、ハリーくんはいいの?」
「うん、やっぱりおれも気になるから」
「そっかー、じゃあもしわかったら私にも教えてね」
 メイちゃんの笑顔に自分の顔がだらしなく緩むのがよくわかった。
 ほとんど話したことのない神くんにそんな立ち入った質問をすることのハードルの高さについて考えるのは後にしよう。

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