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 女の子が好きな人に(もしくはそうでない人にも)チョコレートを贈るバレンタインデー。
 あたしにとってその日は友達同士でたくさんの手作りお菓子を交換し合う日でもある。だから今年も楽しくておいしい素敵なイベントになるはずだった。
 あの最低男さえいなければ。


  はーとの憂うつ


 いつも以上に早く晩ご飯を作り終えたあたしはベッドに横になりあれこれ考えていた。
 最近九時頃には帰ってくるクソ兄貴が少しだけ遅く帰ってきた昨夜。手には朝は持っていなかったはずの大きめの紙袋。
 何となく予想はしていたけど中身は眩しいくらいに綺麗にラッピングされた大量の箱や袋だった。きっと大半は義理なんだろうけど、義理にしては高級すぎるものや明らかに気合いの入った手作りのものもあって、あんな奴に騙されるバカ女の多さに驚いた。
 そしてさらに驚きなのがそれを全部あたしに押し付けやがったクソ兄貴。
 現在あたしの部屋の片隅には異様に甘い匂いを放っている紙袋が置いてある。あれを全部食べきった頃にはあたしは虫歯だらけになった挙句体重が五キロは増えてしまうだろうから、学校に持っていって道連れを増やすことにした。
 あたしに押し付けるくらいなら初めから受け取らなければいいのにと思う。信じられないけど多分本気の想いが込められたものも中にはあるわけで、それをこんなふうに扱うなんて、最低だ。押し付けられたそれを受け取ったあたしも同罪かもしれないけど。
 あんな奴のために苦労してクッキーを焼いた自分がバカみたい。
 本当はあげるつもりなんてなかったけど、一年に一度しかないせっかくのイベントだし、アキちゃんの分と友達にあげるお菓子を作るついでに、クソ兄貴のも作ってやった。まさかあんなにたくさん貰ってくるとは思わなかったから。
 おまけに引き出しにしまってあるクッキーは、小さめの水色の袋に入れて青いリボンを結んだだけ。クソ兄貴が貰ってきたキラキラのラッピングと比べたら月とすっぽん、みすぼらしいことこの上ない。
「やっぱやめようかな」
「何を」
 ぎょえーとかぎゃーとか乙女らしからぬ悲鳴を上げそうになったのを何とか堪えた。
 いつの間にか閉じていた目を開けるとベッドの横に、休日なのに朝からどこかにお出かけなさっていたお兄様が、あたしを見下ろして立っていた。スーツ姿だからもしかしたら休日出勤ってやつだったのかもしれない。
「ノックくらいしてよ」
 バクバクいってる心臓をおさえながらあたしは起き上がった。
「したのに気がつかなかったのはてめえだろうが」
 ……うわあ、何だか今日は不機嫌だこの人。ますます渡しにくいじゃないか。
「何か用」
「これ」
 クソ兄貴が右手をあたしの目の前につき出した。その手には、巾着型の水色の、机の引き出しにしまってあるはずの。
「う、わあああ!」
 あたしはすぐにクソ兄貴の手からそれを奪い取ろうとしたけど、紙一重の差で逃げられる。
「な、ななな何でお兄ちゃんがそれを……!」
「冷蔵庫の中」
 うそ、あたしは確かに引き出しの中に……って、それはアキちゃんにあげようとしたやつだ。昨日学校の帰りに渡しに行ったら留守で、今日も連絡取れなかったから。中身は前に作ってアキちゃんが凄く気に入ってくれたトリュフ。よく見るとアキちゃんへのメッセージを書いたミニカードもちゃんとついている。
 びっくりさせやがってクソ兄貴め。
「それはアキちゃんにあげるやつだから返してよ」
「俺のは」
 思わずまじまじとクソ兄貴の顔を見つめてしまった。昨日貰ってきたのはあたしに押し付けたくせに。
「まさか用意してないなんて言わないだろうな」
「……別にあたしからのなんていらないでしょ。あんだけ大量に貰ったんだから」
 きっとクソ兄貴にはクソ兄貴の付き合いがあるんだろうってことはわかってる。でも、勝手に見てしまったキラキラのチョコレートに添えられたたくさんのメッセージからイメージするクソ兄貴が、全然知らない人みたいだったから、何だか嫌な感じがした。決してやきもちとか、そういう感情ではなくて。
「やきもちやくなら、もう少し可愛くやいてみろ。この仏頂面」
「だっ、から誰がやきもちなんてやくかー! あげればいいんでしょ、あげれば!」
 あたしはベッドから飛び降りた。引き出しの中からクソ兄貴が持っているのと同じ小さな袋を取り出し投げつけようとして中身がクッキーなのを思い出す。割れないようにクソ兄貴に押し付けた。勢いって恐ろしい。悔しいから自分で食べてしまおうと思ったのに。
「ちゃんとあげたんだから早く出てってよ。ご飯もできてるから勝手に食べてね」
 急に恥ずかしくなってきたから、あたしはまたベッドに戻り布団を頭までかぶった。
「……茜」
「何! 早く出て……ってここで開けないでよ!」
 勢いよく起き上がったあたしの目に飛び込んできたのは、袋から取り出された一枚のクッキー。うわ、こうして見ると何と言うか、とにかく、やっぱり凄い形だ。
「どうしてアキのはチョコで俺のはクッキーなんだよ」
 勝手にアキちゃん用のまで見たな。
「だってお兄ちゃんは甘いものあんま好きじゃな」
 あたしは慌てて口を押さえた。これじゃあまるでクソ兄貴の好みに合わせたみたいじゃないか。
「とにかくあげたんだからもういいでしょ」
「この嫌がらせみたいにおかしな形は」
 つっ込まれるとは思ってたけど。
 一応、あたしだって色々考えたわけで。あちこち妙に突き出ていて歪んだ形なのも、三日悩んだ結果で。
「……図鑑とかちゃんと見たんだもん」
「は?」
「だから、血管とか、色々」
 視線が、痛い。
「だから……心臓型」
 沈黙するな。こっちはもの凄く気まずいんだから。
 失敗した。普通のハート型にするのが気恥ずかしかったから、ちょっとひねってみたけど、こっちのほうがずっと恥ずかしい。顔を上げられない。
「や、やっぱ返して。自分で食べる」
 気まずさに耐えられなくなって、無理やり手を伸ばしたのがいけなかった。ベッドから身を乗り出したあたしは、お約束のようにバランスを崩した。
「っと、おうわ!?」
 危うく頭から床に落ちそうになったのを支えてくれたのはクソ兄貴の左腕。
「……ハートくらい普通に作れ、このボケ」
 耳元で言われて鳥肌が立った。情けないけどしがみついていないとそのまま床に落ちてしまうから、あたしはクソ兄貴に密着したまま。
 こんな奴に、ドキドキしてしまう自分が嫌だ。
「文句があるなら……っ」
 言いかけたあたしの唇をふさいだ別の唇。ほんの少し触れただけ。唇が唇に。それだけのはずなのに、自分でも信じられないくらいに顔が赤くなっていくのがわかった。一瞬体が持ち上げられて、ベッドの上にちゃんと乗せられた。
「もっとしてやろうか」
 真顔で、言うな。
「セクハラ! 変態! 最低男!」
 手元にあった枕で力任せに数回クソ兄貴を叩いてから、あたしは再び布団にもぐった。
 来年はドクロのクッキーにしてやる。



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