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089:マニキュア
ふと気づいてしまったいつもと違う茜の指先。
淡い、桃色に染まった爪に覚えるのは、細い針を突き刺したような微かな痛み。
「それ」
僅かな痛みを誤魔化すように、何もないふうを装って後ろから声をかける。
「え?」
食器を洗い終わったらしい茜は、エプロンで手を拭きながら振り返る。
冷蔵庫から取り出した牛乳をグラスに注ぎながら、浩行は顎をしゃくった。
「爪」
一瞬きょとんとした茜はすぐに気がつき、滅多に向けない笑顔を向けてきて。
「えへへ、可愛いでしょ」
それは一体誰のために。
思わず出かかった言葉は冷えた牛乳と一緒に飲み込む。
「今日友達に塗ってもらったんだー。あたしも今度買おうかなって思ってて」
マニキュアなんて塗らなくても。
着飾ることをしなくても、茜は茜で、愛しいと思う。
だから、綺麗になんてならなくていい。ずっとそのままでいればいい。
咲いてしまった花は、いつ誰に摘み取られてしまうかわからない。
茜のよさを知っているのは自分だけでいたいから。
我ながら馬鹿げた感情だとは思うけれど。
「似合わないからやめとけ」
「なっ……素直に可愛いって言えば」
ほんの一瞬、泣きそうな顔をした茜は、すぐに思い切り顔をしかめ舌を出して、強がってみせる。
そのマニキュアを、自分のためだけにつけると言うのなら、いくらでも欲しがる言葉をやるのに。
目の前にいる男が、一体自分をどんな目で見ているのか少しもわかっていない真っ白な茜。
いつも汚してしまいたい衝動に駆られ、必死に抑える。その繰り返し。
「茜」
思わず呼んでしまった名前。無防備に自分を見上げた茜を抱き締める代わりに、頬をつまんで両側に引っ張ってみる。
一緒にいられるだけで幸せだなんて思えるキレイな心は、いつの間にかどこかに置いてきてしまった。
「間抜け面」
100のお題 / くさり目次
2005.01.16
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