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 075:ひとでなしの恋



 あんな人にもやっぱり初恋とかあったんだろうか。
 考えなくてもいい余計なことを考えてしまったあたしは本当にバカだ。





 二人で向かい合って静かに夕食。今日は麻婆豆腐で昨日は餃子だった。和食好きらしいクソ兄貴へのささやかな反抗。明日は特製チャーハンにしよう。中華シリーズが終わったら今度はイタリアンに挑戦してみるのもいい。

「茜」

 心の中を見られたみたいなタイミングで名前を呼ばれて、一瞬心臓が止まりかけた。

「何」

 冷静を装って答えたあたしは前よりは成長したんじゃないかと思う。

「明日は遅くなる」

 その言葉に嬉しくなるあたしと、そうじゃないあたしがいて、最近おかしい。
 遅くなるということは、こうやって一緒に夕飯を食べないということで、実に喜ばしいはずのことで。

 あまり嬉しくないのはきっと、遅くなるくせにそれでも何故かクソ兄貴の分までご飯を作らされるから。ホントの理由とはちょっと違うとわかっているけど、とりあえず今はこれでいい。

 かちゃかちゃ。食器の音がやけに大きく響いてる気がした。

「あのさ」

 どうやら食事中の沈黙が苦手らしいあたしは、話題があるわけでもないのに、向かいで黙々とご飯を口に運ぶクソ兄貴に声をかけてしまった。
 クソ兄貴は手を止めて、あたしをじっと見る。

 最近おかしいその二。
 少し前まではあたしのことなんて視界にも入らないような態度をとっていたクソ兄貴が、この頃は逆にやたらとあたしを睨む。
 クソ兄貴の部屋のゴミ箱を引っくり返したこととか、ワイシャツを一枚駄目にしてしまったこととか、証拠隠滅は完璧にやったからばれるはずはないし、いくら考えても睨まれる覚えはない。

 とにかく、クソ兄貴はあたしが続きを言うのを待っているらしいので、何かを言わないといけない。何か。今日一日を振り返って。

「今日、友達と初恋について語り合ったんだけど」

 けど、なんだ。クソ兄貴の目がそう言っている気がして、次の言葉がなかなか出てこない。

「それで、ええと、その、お、お兄ちゃんの、は、初恋は、どんな感じだったのかなーとか、思ったり、しちゃいまして」

 もの凄くバカなことを訊いたと、言った瞬間後悔した。クソ兄貴がそんなこと素直に答えるわけないし、そもそもクソ兄貴が恋とかそういう感情を、誰かに抱くなんてこと。

 あるわけないと言い切れなくて、昼間からずっとぐるぐる回ってた疑問。

「茜は」

「え」

 今度は動揺を隠せなくて、声が思い切り裏返った。

「あ、あたしは、まあ、普通に」

 普通に、当たり前のように、「お兄ちゃん」が初恋の相手だったなんて、誰にも言えるわけがない。
 昔の愚かなあたしには「お兄ちゃん」という存在が全てで、他の誰かは存在してなかったから仕方がない。消せない過去への言い訳を。





 結局そうやってはぐらかされてクソ兄貴の答えは聞けなかったことに、食後の後片付けをしている最中に気がついた。
 知らないままのほうがいいこともたくさんあることはわかっているから、ほっとした反面、やっぱり気になるものは気になって。

 ずっともやもやしていたら、数日後、思わぬ人からクソ兄貴の初恋話を聞くことになった。





『浩行の初恋の相手?』

 新婚気分を満喫して娘の存在をすっかり忘れていたであろう容子さんからの、久しぶりの電話。何でもない会話の流れでふと訊いてみたら。

『誰だか知りたいの?』

「知ってるの?」

『だって、私だもの』

「何が?」

『浩行の初恋の相手』

 一瞬の沈黙のあと。

「うっそだあ」

 クソ兄貴がどういう経緯で容子さんと誠さんのところに来たのかとか、その頃のクソ兄貴はどんな感じだったのかとか、あたしは全然知らなくて、知らないクソ兄貴が多すぎて、何故だか少し悲しくなった。

『信じる信じないは茜の自由だけどね。浩行もまだ小さかったから。あの頃は今以上に可愛かったんだから』

 可愛いクソ兄貴がどうしても想像できない。もうずっと見た記憶がない、どこかにあるはずの昔のアルバムの存在を思い出した。それならあたしが知らない、容子さんの言う可愛いクソ兄貴が見れるかもしれない。

『でもその後は茜一筋だからねえ。全部茜に取られちゃってちょっと寂しかったのよ』

 笑うところなのか何なのかよくわからなかったから、そこは聞こえなかったことにした。

「ねえねえ、昔のアルバムってどこにあるっけ」

『ああ、あれは確か――』




 今夜、カルボナーラのパスタを食べながら、クソ兄貴に容子さんのことを訊いてみよう。
 もし容子さんの言ったことが本当だったら、奴はどんな顔をするだろう。



 100のお題 / くさり目次



 2005.05.26



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