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044:バレンタイン Ver.1
私が知っている限りでは、バレンタインデーは女の子が男の子にチョコをあげる日だ。
放課後の教室で、今日提出の英語の課題をやっていた私はもちろん女だ。ずっとショートカットだったのも少し前から伸ばし始めたし、先生に目をつけられない程度のささやかなお化粧もしている。何より制服はスカートだから男と間違えようがない。
そんな私に「何してんの?」と声をかけてきた、とっくに帰ったはずのクラスメートの山田くんはどう見ても男だ。髪は短く刈り上げられているし体つきもがっちりしている。背だってもちろん百五十五センチの私よりもずっと高い。
「えと、山田くんはどうしたの?」
「うん、ちょっと用があって。で、平島さんは?」
「英語の課題。授業中に終わらなくて。先生が五時までに出せば点をやるって言ってくれたから」
友達に頼ろうとしたらあっけなく見放された。
「ふーん、英語苦手なの?」
「あー、うん、元々バカだけど英語は特に苦手かも」
同じクラスになって一年近く経つけれど、山田くんと話したことはほとんどない。
山田くんはもう一度ふーんと言いながら何故か私の前の席に横向きに座った。しかも右腕を椅子の背に乗せてこっちを思い切り見ている。とても居心地が悪いけれど、どっか行ってなんて言えないからできるだけ気にしないようにする。
五時まであと一時間弱。残っているのは英作文二つ。これなら何とかいける、かな?
電子辞書とにらめっこしながらも山田くんの視線を感じて、やっぱりやりにくい。私の頭の悪さをこんなところで晒す羽目になるなんて。
「それ、スペル違ってる」
「え! あ、ホントだ。あはは、恥ずかしいな。ありがとう」
「どういたしまして。平島さんって今髪伸ばしてるの?」
私が英作文でいっぱいいっぱいなのを知ってか知らずか、山田くんがさらに話しかけてきた。
「うん、ずっと短かったから、たまには長くしてみようかと思って。私には長いのは似合わないかな」
「いや、かわいい」
驚いて、思わず山田くんを見た。
今時の男の子はこういうことをさらっと言えるのか。
「あ、あははは、おだてても何も出ないよ」
動揺する私とは反対に、山田くんは穏やかな笑みを浮かべたまま私を見ていた。
山田くんがもてるという話は聞いたことがないけれど、いつもこんな感じなら勘違いする子がたくさんいそうだ。私もちょっと危ない。
「終わった……!」
最後のピリオドを打って、山田くんがいることを忘れて大きな声を出してしまった。ボロボロのプリントと一緒に上げた視線が、山田くんの笑顔とぶつかる。
「お疲れ様」
咄嗟に視線を逸らしてしまう。
山田くんは一体何のために私が課題と格闘しているところを見ていたのだろうと、今更ながらに疑問に思う。
五時まであと十五分。とにかくプリントを先生に渡しに行こうと、机の横にかけていた鞄に手を伸ばした。
「平島さん」
「ん?」
呼ばれて顔を上げると目の前には小さな茶色の箱。
「これ、受け取って」
「え、これ、何?」
「チョコレート。今日はバレンタインデーだから」
「ああ、そうだったね……って、え?」
納得しかけて、慌てて聞き返した。
バレンタインって、男の子から女の子にもチョコを贈るものだったっけ?
「本当は逆がよかったんだけど、このままだと望み薄そうだったし、せっかくの機会だから」
「えーと、あー、うん、ちょっと意味が、わからないんだけど」
「つまり、平島さんのことが好きです、という意味」
山田くんはやっぱりさらっと言って、私は混乱したまま笑うしかなかった。
「あー、うん、そういう意味ね。えーと、えーと、うん、ありがとう」
「やっぱり、俺のことなんて眼中になかった?」
「え、いや、そういうんじゃなくて、ちょっと、びっくりして。今まで話したこともほとんどなかったから」
「うん、一目惚れだったから」
「あ、はは、そんなこと言われたの初めてだよ」
ひきつった笑いしか出ない。何なんだろうこの状況。
「それで、受け取ってくれる?」
「……受け取るだけで、いい?」
「できれば付き合って欲しい」
告白なんて、幼稚園のときに近所に住んでいた年下の男の子にされて以来、したこともなければされたこともない。
息を大きく吐いて、私は山田くんを見る。現金なことに今まで意識したことがなかった山田くんのことが、急にかっこよく見えてきた。
バレンタインデーに好きな人に告白するところを想像したことはあったけれど、告白されるなんて。
私が余程困った顔をしていたのか、山田くんは笑って言った。
「返事は今すぐじゃなくていいよ」
「う、ごめん、山田くんのこと、よく知らないしそういうこと、今まで考えたことなかったから」
ああ、どうしよう。山田くんの笑顔にきゅんとしてしまった。私ってこんなに簡単な奴だったのか。
「返事は、ホワイトデーがいいかな。それまでに俺のこと、もっと知ってください」
多分ホワイトデーが来る前に私は山田くんに返事をしてしまう。そんな予感がした。
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200812.19
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